スピルバーグ監督、米、157分。
ミュージカル史上とりわけ有名な作品の再映画化。なぜ今このミュージカルを再映画化したのか。観れば分かる。以前の映画は1961年の制作、つまり白人中心主義に誰も疑いを持たない時代である。どんな下町の町工場を舞台にしても出てくるのは、白人ばかり。そういう工場もあったと思うが、今ならそんな白人だけの映画化は考えられない。
昔の映画を見た時は、『ロミオとジュリエット』のニューヨーク版のような印象で、仇同士の集団にいるための男女の悲恋に見えた。プエルトリコ人と言っても、カリブ海のどこかにある島以上の認識も関心もなかった。しかし60年経って人種に対する意識は大幅に変わった。今ではプエルトリコ人のようなラテン系、エスニック系とも言うが、の人口増加は激しく、将来は米の人口の過半を占めるともいわれる。どうでもいい存在ではない。それより意識の上で、少数派を尊重し、積極的に取り上げなければ映画界は叩かれる、そういう時代になったのである。
だから前回の映画でプエルトリコ側の主な登場人物、ベルナルドとマリアは、ジョージ・チャキリスとナタリー・ウッドという白人(グリンゴ)が演じていたが、もはやそんな配役は許されない。今回の映画ではマリアもベルナルドも完全にラテン系で、ベルナルドは以前のように色男でなく、あくの強い下品な感じさえする俳優が演じる。プエルトリコ人同士の会話はスペイン語である。この映画のプエルトリコ人と対決するチンピラ集団は東欧系である。米の移民にも序列があって、映画『天国の門』(マイケル・チミノ)で描かれたように、西欧系の移民たちは後から来た東欧系を襲撃したのである。ウェストサイド物語ではその東欧系が、カリブ海から来た移民たちを軽蔑、排撃する。それにこの映画を観ているとアジア人である自分たちは思い出してしまう。今回、疫病が流行ったせいで、黒人がアジア系を襲っているニュースを。
0 件のコメント:
コメントを投稿