2022年3月26日土曜日

坂口安吾『日本文化私観』 昭和17年

桂離宮はブルーノ・タウトの絶賛が有名である。他の建築等も含め多数意見と思われる評価がある。それらへの異見から始まり、建造物等は実用を第一とすべきであるという「日本文化」論である。伝統や国民性を論じるにあたっても外見的な要素に全く価値をおかず、見た目などより日本人が健康で快適な生活を送ればそれで文化や伝統が保てると主張する。建造物では法隆寺や平等院がなくなっても構わない。それに対して小菅の刑務所、築地にあったというドライアイス工場、軍艦を挙げ、これらが実用一点張りで機能美を持つと称賛する。

(脱線の議論になるが、小菅刑務所は実用一点張りの建物ではない。監視塔はまるで鳥の首のようであり、以前、何十年前になるが、電車に乗って近所を通過する時、この建物の異様な外観に目をひかれたものである。しかもこの建物を正面から見ると、鳥が翼を広げているデザインとなっている。実用第一主義どころか、極めて凝った建築なのである。)

実は坂口の論は、日本人全般が持っている意見を代表しているのである。日本人は実用第一主義で、建築物に装飾のような無駄なものはつけない。マッチ箱のような建物が並んでいる、日本の現代の都市の景観こそ坂口は随喜して涙を流すであろう。ヨーロッパのように装飾の多い、古くて不便な建物で構成されている都市こそ醜悪の極みなのであろう。日本人は不便に我慢できないのである。不便だったら古い建物はどんどん壊し、便利な建物に作り直す。日本に古い建物が少ないのは地震のせいでも戦争のせいでもなく、不便な建物を片っ端から壊しているからである。
そういう日本人の価値観を代弁しているのが、坂口の本論である。

0 件のコメント:

コメントを投稿