著者は今評判の翻訳家とのこと。明治以降の例を挙げてかつての翻訳の「すごさ」というようなもの、今なら許されない、考えられない事情を描く。
例として挙げられているのは、小公女、涙香の鉄仮面、小金井喜美子ほかほか。
読んでいて楽しい本であることは確か。少し違和感を覚えたのは翻訳という言葉の使い方である。自分としては、原語の内容を間違いなく、他言語へ移すという位で理解していたからだ。
しかしここで挙げられているうち、黒岩涙香など元々原語通りに訳す気はなく、自由訳であり翻案と呼ばれ、翻訳ではないだろうと思っていたからだ。また洋画の邦題が原題と全く異なっている例も挙げているが、これなど配給会社の宣伝政策だろうと。
つまりこの本の翻訳とは外国文化の移植全般を意味しているようである。
その他若松賤子は今でも有名だが小金井喜美子はそうでない、とか。そう?と思ってしまう。森鷗外の妹として名前は良く出てくるし。実際この本でも鷗外の妹としての彼女を描いている。
どうでもいい、細かいところばかり挙げたようだが自分として気になった点を書いた。
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