本書は過去の重要な事件の裁判での精神鑑定を集めたもの。以前出版された『日本の精神鑑定』(みすず書房、1973)と『現代の精神鑑定』(金子書房、1999)の合本である。若干の変更がある。「連続幼女殺人事件」を除いたなど、凡例参照。本の大きさはA5判(15×21cm)であるが、1243ページもあるため、暑さは5cmにもなる。造りは洋書風に言えばペーパーバックである。
本書の構成、事件は次のとおり。
日本の精神鑑定(1936年から1969年まで)
監修のことば/大本教事件/阿部定事件/電気局長刺殺事件/若妻刺殺事件/聾啞者の大量殺人事件/大川周明の精神鑑定/俳優仁左衛門殺し事件/小平事件/帝銀事件/金閣放火事件/メッカ殺人事件/「間接自殺」としての強盗未遂事件/杉並の「通り魔」事件/ライシャワー大使刺傷事件/愛妻焼殺事件/横須賀線爆破事件/あとがき
現代の精神鑑定(1969年から1994年まで)
まえがき/「連続射殺魔」少年事件/妻子五人殺人事件/ピアノ殺人事件/日航機ハイジャック事件/新宿西口バス放火事件/深川の通り魔事件/悪魔祓いバラバラ殺人事件/47、XYY男性による反復殺人事件/女子中学生殺害事件
裁判時の精神鑑定をすべて収めているわけでない。容量の制限の他、プライバシー保護等から縮小などの編集をしている。人名は小平義雄や永山則夫など有名な被告はそのままであるが、登場人物名は仮名が原則。日時、場所なども比較的最近の事件は平成〇年とか、A県B市などとの表記がある。内容に関する若干の説明と感想は以下の通り。
まず「大本教事件」と次の「阿部定事件」の鑑定書は文語体である。ただし新字、平仮名表記で句読点はある。「阿部定事件」は供述の部分が多く、それは口語なのでまだ読み易いが、「大本教事件」は地の文が多く、漢字の割合が高く、今では使わない字を多く使っている。「大本教事件」は逮捕された幹部の一人、出口元男の鑑定書であるから事件の概要は冒頭の「解説」にあるが、なぜ治安維持法等の違反になったか、などの説明はない。
「阿部定事件」は事件の性質上、性的猟奇的また凄惨な記述が多く驚く。阿部定事件は『阿部定手記』(中公文庫)にある「艶恨録」(予審訊問の調書で、阿部定が生い立ちから事件まで語っている)が基本と思っていたが、ここには「艶恨録」にない事件の客観的情報もある。
「電気局長刺殺事件」とは鉄道省電気局長が被害妄想を持った元部下に殺された事件。阿部定事件よりほんの少し前の出来事。
「若妻刺殺事件」とは配偶者による犯罪でなく、たまたま上京し、同じ家にいた中学生(旧制中学、今の高校生の年齢)に、20歳の若妻が刺殺された事件。
「聾啞者の大量殺人事件」は真珠湾攻撃の年に起きた、障碍者によって行われた、数度にわたる大量殺害という陰惨な事件。
「大川周明の精神鑑定」は映像にも残っている東京裁判の際、大川が東条の頭を後ろから叩いたので精神鑑定が行われた、その記録。
「俳優仁左衛門殺し事件」は次の「小平事件」と共に、戦中戦後の飢えが大きな原因となっている。脱線だが戦争の記録、歴史と言ったら軍の戦闘、銃後では空襲はよく説明されているが、食べ物がなく国民が腹を空かせており、特に戦後はそれがひどくなったとはあまり書かれていない気がする。当時はみんな経験しており、何も書くまでもないと思ったからか。こういう事情は時代が経つとさっぱり訳が分からなくなる。当時の歌舞伎役者片岡仁左衛門の一家が、同居していた狂言台本の見習いの者によって殺害された。被害者は5人に及んだ。元々不穏な関係だったらしいが、特にあまりに食事が違いすぎるので、それが直接のきっかけとなった。
小平義雄は、戦中から戦後にかけて10人(小平は7人殺害と主張)の婦女を暴行殺害している。何しろ渋谷駅であった横浜在の女を、農家があるからと言って栃木の田舎まで連れ出し犯行した例もある。いかに食糧入手が死活であったかの証左である。
ところで刑法39条に疑義を持つ人がいるだろう。そういう立場からは精神鑑定は原理的に意味がないように思える。それでも精神鑑定によって犯人がどういう人間か、犯行時の心理などが明らかになる。小平義雄は「わしの罪は助かりませんよ。(中略)わしは七人もやってますからね。」(本書p.228)と覚悟している。
「帝銀事件」では被告平沢貞通に甚だしい虚言癖があると分かった。
「金閣放火事件」は有名な事件。この事件については、小説家の著作を元に云々する場合が多いようだが、この鑑定書がやはり基本になるだろう。
「メッカ殺人事件」は戦後8年目に新橋のバー、メッカで起きた殺人事件。犯人が慶応出のインテリ青年でアプレの犯罪と言われた。
「「間接自殺」としての強盗未遂事件」でいう、間接自殺とは自殺願望はあってもできない者が、犯罪をして処刑され、自殺を叶えるやり方である。欧州ではキリスト教で自殺が禁じられ、公開処刑は宗教的雰囲気で行なわれるというので、流行った時期があったらしい。日本で起こった珍しい例である。
「杉並の「通り魔」事件」は昭和30年代後半、高校生が年下の男子たちに対し行なった、連続猟奇傷害事件である。
「ライシャワー大使刺傷事件」は駐日米大使が、大使館に侵入した少年によって大腿部を刺された。その被告の精神鑑定。
「愛妻焼殺事件」は上司に腹を立てた工員が、殺そうとしてガソリンをまいて火をつけたところ居合わせた妻を焼殺してしまった。
「横須賀線爆破事件」は自分を振った女に仕返しをするため、女がよく利用するという横須賀線の電車に爆弾をしかけ、1人死亡、13人重軽傷を負わせた。
「「連続射殺魔」少年事件」は被告永山則夫の生い立ちが詳しい。極端な貧窮生活を幼少期に強いられているが、肉親からの愛情の欠乏が一番大きい問題に見える。兄たちからいつも殴られていたので、代わりに妹を殴っていた。例えば家出をして警察に保護された永山を母が引き取りに来て、事情を話した。警官は永山を殴り「叩かれれば痛いだろう」と説教した。永山はこん畜生と内心復讐を誓った。帰宅後、誓い通り妹を殴りつけた。(本書、p.731から732)
これが永山及び他の犯罪者たちの理屈である。社会からひどい目に会わされたので、社会に復讐する。それは復讐しやすい者に復讐する、を意味する。米兵宅から拳銃を窃取していた被告は、その拳銃で4人射殺した。うち2人は20歳代であった。
精神鑑定はこの本に書かれているとおり科学の立場で行なうもので、結果的には被告に情状酌量を与えない場合がある。この事件の解説を読むと、鑑定人は被告に感情移入しているかに見えるのだが。
「妻子五人殺人事件」は自分の妻子5人を殺害した事件。北大路欣也の出た映画の元となった事件ではない。
「ピアノ殺人事件」は階下のピアノの音がうるさいと言うので、母親と娘2人を殺害した事件。集合住宅での騒音が元の犯罪はその後も起きている。抽象的には騒音被害者たちの同情を誘うが、これを読むと被告はかなり問題があるように見える。
「日航機ハイジャック事件」で、大阪発の日航機をハイジャクした犯人は、成田空港への強制着陸の後、取り押さえられた。
「新宿西口バス放火事件」では、むしゃくしゃしていた犯人が止まっていたバスの入り口からガソリンと火を投げ入れてバスを炎上させ、5人殺害、13人に重軽傷を負わせた。
「深川の通り魔事件」では、犯人は母親と3歳、1歳の幼児のほか、通行中の一人を刺殺し、その他2人に重傷を負わせ、人質をとって飲食店に立てこもった。被害者は1歳の乳児を除きすべて女である。
「悪魔祓いバラバラ殺人事件」は、被害者が従兄と妻によって殺害、バラバラにされた事件である。起訴状や鑑定にあった宗教的性格を判決では一切否定し、痴情による犯罪とした。
「47、XYY男性による反復殺人事件」とは、特異な染色体を持つ者の割合が、犯罪者では一般に比べ非常に高いという研究が外国であった。わが国でその特異な染色体を持つ者が、15年をおいて2件の殺人を犯した事例。
「女子中学生殺害事件」はエリート進学校の高校生が犯した、中学生に対する暴行(未遂)殺人事件。
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