「ある物理学者の回想」と副題のある湯川秀樹の自伝である。朝日新聞に連載されたそうである。「はじめに」は昭和33年に書かれ、その前年に満50歳を迎えたとある。
明治40年に生まれ、大学を卒業し学者となって新理論に挑んでいる昭和初期までが自伝の対象期間である。
これを読むと湯川は非常に内向的で、あまり感情を外に出さず、何を考えているか分からないと周囲に思われる人物だったらしい。しかも旅行等も好まず、活動的な生活とは言い難い。周知のように父親が学者で、兄弟も学者になった家族である。しかし若い時、父は湯川が良く理解できない子なので大学に進ませず、専門学校へやろうかと思ったらしい。こういうのを読むと親といえども子供を良く理解できていないとわかる。父の方針が通ったらノーベル賞受賞の物理学者は生まれなかった。
東京生まれながら生涯の大部分を京都で送った。旧制中学や三高の様子などがわかるのは面白い。また数学の先生が独善的でそのため数学が嫌になり、物理に進んだとあるのを見ると教師の重要性が再確認できる。
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