2025年8月14日木曜日

筒井康隆『創作の極意と掟』講談社文庫 2017

筒井による小説作法の本である。小説をこれから書こうとする人、また既に職業小説家になっている人も対象に書いたとある。

項目は、凄味、色気、揺蕩、破綻、濫觴、表題、迫力、展開、会話、語尾、省略、遅延、実験、意識、変化、薬物、逸脱、品格、電話、羅列、形容、細部、蘊蓄、連作、文体、人物、視点、妄想、諧謔、反復、幸福、と分かれ、各品目について筒井の考え、理解を述べる。これだけ良く書いたものだと思う前に知らない単語がある、揺蕩など。品目を並べるだけでなく、それについていちいち書いているのだから感心せざるを得ない。

2025年8月12日火曜日

立花隆、佐藤優『ぼくらの頭脳の鍛え方』文春新書 2009

二人の知識人による、読書でいかに頭を鍛えるかの対談とそれぞれが推薦する図書の一覧。二人は多くの書を物している文筆家であるが、かなり異なった志向を持つ。佐藤はいわゆる人文系の知識人で、立花は多くの自然科学書を挙げている。

例えばマルクスやカントに対する評価は全く異なる。佐藤がマルクスを「今こそ、教養としてのマルクス主義、マルクス経済学の意義は大きいと思う」と言っているのに対し、立花は「マルクス思想については、もう学ぶべき対象ではないでしょう」(以上p.39)と述べる。佐藤でよくわからないのは『価値と資本』を新自由主義を把握するのに一番総合的じゃないかと言っているが、自由主義なら立花の挙げているハイエク以外ならミルトン・フリードマンあたりにしたらどうか。『価値と資本』は分析の本であって主義主張の本ではない。また経済学では『価値と資本』と並び古典視されているケインズの『一般理論』の解説では、ケインズのあまりにも常識的な話をしているだけである。本当にこれらを読んでいるのかと思いたくなる。立花のマルクス理解については、p.191以下の『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を論じているところを読むといい。マルクスの礼賛文はよく見るが、マルクスをてんから無視している者は、論じる価値なしとして何も言わない。この立花の文はマルクス批判をちゃんとしているので珍しい。

さらにカントの評価が面白い。立花は『純粋理性批判』をナンセンスと断じ、その根拠として時間と空間をアプリオリとしているが、現代の時間空間概念は変わってしまった、前提がもう今では通じないから砂上の楼閣になっている、と。立花の論がどの程度説得性を持つかどうか、ただ佐藤も反論で論破できているとは思えない。

2025年8月6日水曜日

魔の谷 Beast from haunted cave 1959

モンテ・ヘルマン監督、米、72分、白黒映画。スキー場に来ている悪漢集団。そこで山男なる者に出会い、集団のボスの情婦となっている女は惹かれる。悪漢どもは金塊を奪うため、目くらましに爆破を起こし犠牲者が出る。女は山男と一緒に逃げるつもりだった。

しかしこの近所の洞窟の中で別の女が怪物に襲われた。その後も怪物は山小屋にやってきて人を攫っていく。山男と逃げた女は吹雪を避けるため洞窟に入る。そこは怪物の住処だった。先に怪物に攫われた人らが囚われている。逃げた情婦を追って洞窟に来た悪漢のボスは怪物にやられる。その仲間が怪物を火炎放射器(?)か何かで怪物を焼き殺す。怪物の恰好は、布にたくさんの紐がからまっているようななりである。

川北稔『砂糖の世界史』岩波ジュニア新書 1996

「世界商品」砂糖の取引を中心にした世界史。世界商品とはそれを求めて各国で競争が生じる物。砂糖以外に茶とコーヒー、チョコレートなどがある。いずれも世界の経済の中心であった欧州では栽培できない。それで熱帯等の植民地でそれらを栽培した。

その際、労働力が必要である。その労働力はアフリカから黒人を奴隷として調達し、従事させた。奴隷の貿易と工業製品など欧米での産品との貿易が盛んに行われた。

2025年8月3日日曜日

齋藤孝『読書力』岩波新書 2002

現代は読書しなくていいといった風潮があるが、とんでもない、読書は必要だと著者は力説する。著者はいかに読書が人生に必須か、熱く語る。最近の物分かりの良いおじさんとは全く意識的にか、違う態度をとっている。著者はいかに読書が読む人に効用をもたらすかをいろんな点を挙げ、説明する。

書名の「読書力」という言葉は普通使わないだろう。どういう意味で使っているかを見ていると、読書力があるとは文庫百冊、新書五十冊読んだというものである、とある(p.8)。本書の多くの読者はもっと読んでいるだろう。改めて本書がこれから読書をしようという、普通は若い人であろう、読者を対象としていると分かる。本を読むのはそもそも読書が好きな人が多い。それで同好の士と語るのは楽しいから読書に関する本は売れる。少なくとも海辺で拾った石ころを楽しむ、というような題の本よりかは。(実はAmazonで見たらこのような本が出ていて、それなりの読者がいるとは驚いた。人間の関心は広い)

ただし、既に読書好きになっている人でなく、本書の想定する読者に、どの程度本書が届くか、本書を読む気にさせるか。そのために本書は若い人の読書の指導をする教師(役)にも向けられていると思った。最後に文庫百選として著者が勧める本の紹介がある。これを見てなぜこの本にしたのか、自分なら同じ作者のあの本にする、といったように楽しめばよい。

2025年8月2日土曜日

目玉の怪物 The eye creatures 1967

ラリー・ブキャナン監督、米、78分、総天然色映画。テレビ用の映画らしい。田舎町に空飛ぶ円盤が降りてくる。軍は調べるがパニックを避け、何も一般に知らせない。

カップルが乗っている車は何物かに衝突する。人を轢いたかと思って調べると怪物である。警察に知らせるが相手にされない。されないだけでなく、別の事故の容疑者にされてしまう。別の若者が来て、怪物が倒れているところを見ているうちに、生きている怪物が襲い、若者を殺してしまう。この若者殺しの容疑者ではないかとカップルは言われる。轢いたのは怪物でなく、若者だろうと警察は思っている。否定しても信用されない。

隙を見て警察から逃げ出し、死んだ若者の友人宅に行き、その友人を事故現場に連れていく。怪物たちが多く現れる。友人は怪物にやられそうになる。車のヘッドライトを当てると怪物は蒸発して消えてしまう。カップルはたくさんのカップルの友人を集め、車を連ねて現場に向かう。初めは暗くしておいて、怪物らが現れるとヘッドライトをつけ、怪物どもを退治する。怪物に襲われた先の友人を助ける。

題名は目玉の怪物となっており、原題もそうだが目玉の怪物でなく、全身が多くのできもの、突起物、イクラの寿司のようないでたちの怪物である。

2025年7月31日木曜日

ゴーストキラー 令和7年

園村健介監督、ライツキューブ配給、104分、高石あかり主演。ある殺し屋が殺される場面から始まる。高石はバイトをしている大学生。ある日ころんだ階段で薬莢を見つける。その薬莢は殺された殺し屋の物で、高石がそれを拾ったところから死んだ殺し屋の霊が見え、会話できるようになる。更に殺し屋の霊が乗り移り、高石の体を使って殺し屋が自分の体のごとく使えるようになる。

親友のとんでもない恋人を懲らしめ、また殺し屋が自分を殺した者を殺さない限り成仏できない、といい協力を頼まれる。結局のところ、高石は殺し屋をつけ狙う反社会組織と対決することになる。女の子と悪人の体が入れ替わる映画があったし、ミッシェル・ロドリゲスの映画で女の体に男が乗り移る映画があった。それらと枠組みは同じだが面白い映画になっている。