日銀に入行し総裁まで勤めた著者が自らの経験に沿って、日銀の任務とそれを遂行する方法、よって立つ理論的背景を説明する。著者の解釈も分かりやすい。
750頁以上の大著ながら論述は平易で、興味を持って読み進められ、理解しやすい。強調すべき本書の特色である。
優れた書であると前提したうえで個人的に気になったところをあげたい。
著者は政府からの、金融政策に対する発言に非常に不快感、苛立ちを抱いている。日銀の専管事項である金融政策に、上は総理から下っ端役人に至るまで政府からの発言があれば、それは政府の見解となる。
大物学者でもあるいは民間のエコノミスト、評論家だろうと、どんな間違った発言や反日銀の言論であろうとも所詮外部からの雑音である。それに対して政府からの発言は、協力して経済政策にあたるべき部門からの発言であるから、嫌がるのである。政策決定会合での政府の発言権や経済財政諮問会議で説明しなくてはならないのに対しても嫌悪を隠さない。
日銀総裁としての著者の不快感はよくわかる。しかし正当化できるのだろうか。
日銀の独立性について章を設けて議論している第22章では役人的優等生的に論じている。
ただ総裁の任命権について、法的形式的な話でなく、具体的に候補の名を挙げるのは誰か。国会で承認するかしないかはその候補がいるからで、候補自体を挙げる主体はどれか。それは政府である、という回答であろう。それなら日銀の政府からの独立性はどうやって確保できるのか。トップの選任権が政府に握られているなら、政府の支配下にあるのではないか。
会社の社長の一番重要な仕事は次期社長を決めることと以前読んだ。日銀総裁には次期総裁を決定することはもちろん、指名する権限さえない。
最後に細かいところながら、著者は日銀職員の任務に対する献身、奮闘ぶりに感傷的ともいえる感謝の気持ちを表明している。組織の長として当然であろう。しかしながら客からの怒号に耐えたり、休日出勤して業務を遂行することは民間の会社でも中小を含めみんなやっている。政府の職員でもそうである。日本最高のエリートである日銀職員だけでない。
日本経済が回っていき、日本が住みよい社会と言えるなら、それはこういう国民全体の貢献によっているのである。
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