本書は「ユングの心理学講義」と副題がついており、詩人の谷川が専門家である河合にユング心理学を尋ね、教えを受ける対談である。
ユングの心理学は何よりも心の病を持った患者の治療法であり、その学問、思想体系を学ぶといったものでない。河合がスイスのユング研究所に行って学んだ際に最後の試験で、試験官と喧嘩したとあって面白い。この対談は元々、朝日出版社が出していたlecture booksというシリーズの一冊として1979年に出された。
本書は「ユングの心理学講義」と副題がついており、詩人の谷川が専門家である河合にユング心理学を尋ね、教えを受ける対談である。
ユングの心理学は何よりも心の病を持った患者の治療法であり、その学問、思想体系を学ぶといったものでない。河合がスイスのユング研究所に行って学んだ際に最後の試験で、試験官と喧嘩したとあって面白い。この対談は元々、朝日出版社が出していたlecture booksというシリーズの一冊として1979年に出された。
パブロ・トラペロ監督、アルゼンチン、110分。実際にアルゼンチンで起きた誘拐殺人事件を元に映画化した。
一家の息子はラグビーの名手で英雄視されている。父親は誘拐し身代金を取り、人質を殺害していた。これに息子も協力させられていた。しかし恋人が出来、結婚したい。他のきょうだいは父の犯罪に嫌気がさし家を離れる。何人か誘拐殺人した後、誘拐しても身代金を払わない相手がいた。誘拐した女を長く家に隠していた。ついに犯人の父親だけでなく、関与した家族が捕まる。
父親は豚箱で息子に自分が無罪となるような指示を出す。自分の人生を滅茶苦茶にされ、怒り狂った息子は父親に襲い掛かる。明くる日、裁判に連れていかれる途中、息子は階上から飛び降りる。以下、その後の経過が字幕で出る。息子は命を取り留めたが、自殺未遂を繰り返し、若死にする。他の家族は釈放された。父親は無期懲役となり、出所してから弁護士となって死ぬまで自分の無実を主張したという。
本書は岸田を講師として、俳優、監督等の伊丹が生徒役で精神分析について質問していく講義録である。
講師、生徒役はそうなっているが、伊丹が非常に精神分析やフロイトその他の知識に詳しく、舌鋒鋭く岸田に迫っている。単に知識があるというのではなく、理解も優れている。だから極めて知的興奮に溢れた対談になっている。副題は「精神分析講義」となっているが、フロイトの解説本ではなく、岸田のいう「唯幻論」の講義である。本書は元々、朝日出版社が出したlecture booksというシリーズの一冊として1978年に出された。このシリーズはよく覚えている。装丁が印象的で表紙がしゃれた作りで、何より書名が凝っていた。この『哺育器の中の大人』もそうであろう。他にも『魂にメスはいらない』とか『僕がアインシュタインになる日』とか。優れた書名は売れるだろうし、記憶に残る。この本のあとがきで岸田はシリーズ中最も売れた本だと聞いたとある。
ところでこのちくま文庫本を見ると著者名がまず伊丹が来て、それから岸田になっている。元々講師が岸田だから以前の本では岸田+伊丹という並べ方であった。それを伊丹を先にしているのは何らかの判断がこの文庫本ではあったのだろう。その説明がない。やはり以前から変えたのなら、その理由を書いてほしい。
著者は医者で高齢者医療が専門である。現代のように超高齢社会になり、つまり老人が人口のかなりの部分を占めるようになってくると高齢者向けの論が当然盛んになってくる。
何しろ高齢者は若い者のように体がきかず多くの疾患を抱えているのが普通で、まもなく死に至る。高齢者を対象とした本などではいかに若く身体を保つかの方法、そのために気も若くならなければいけないと説いている。それはもっともな点がある。しかし早晩体が言うことをきかなくなり、死んでいくのは避けられない。だから老いや死を否定して見ないようにしていくのでなく、それを受け入れることを説いている本である。むしろその方が本人にとっても良望ましい、高年齢の過ごし方ではないか。
近代日本で教養がどう捉えられ、また現代の教養とは何かを論じる。目次は次の通り。
序章 なぜ「教養」を問題にするのか/第1章 「教養」の現況をめぐって/第2章 近代日本の「教養」/第3章 「教養」の内と外/第4章 「政治的教養」と日本の伝統/第5章 「教養」と教育、「教養」の教育/終章 「教養」のむこうがわ
現代のように教養というものが話題にならない、する気も起きない時代に、あえて教養を考察している点に敬意を表したい。著者は東大で日本政治思想史を教えている学者で、そのような「実用的」でない学問の研究者だからこそ現代の教養を考えざるを得ない立場にある。もちろん快刀乱麻を断つように整然と整理され解決策を提示しているわけでないが、対象が教養というものであればこうなるのが普通であろう。
なお本書の最後に過去に出た教養全集を2種挙げ、その収録内容がある。一つは平凡社の「世界教養全集」全34巻、別巻4巻で1960、1963年の発売、もう一つは角川書店の「日本教養全集」全18巻、1974、1975年である。前者の内容はいかにも教養書らしい本が並んでいるが、たとえば自然科学系など今では内容が古すぎて少し読むと投げ出してしまう。また最初に入っている『哲学物語』は戦前アメリカでベストセラーになった本とあり、読みやすいように見えるが、今となってはあまりに書き方や内容が古びていると感じる。
後者の角川書店の「日本教養全集」は、石油危機等を経験、もう日本が先進国になっていた、つまり教養などとあまり言われなくなった時代に出された。だからこの全集はかなり「斜に構えた」編集である。確かに第1巻、2巻などは『三太郎の日記』とか『人生論ノート』のような古典が収録されているものの、『ぐうたら生活入門』とか『家出のすすめ』などといった本が入っていて、この全集の少し前にベストセラーになった『誰のために愛するか』もあり、ともかく古臭い教養全集などでないと宣言しているようだった。読み手にも新鮮な感じを与えたものである。この全集も今では古本屋で投げ売りされており、今読んでみるとかつてのような新鮮さは感じず、昔のベストセラーを読んでいるような気になる(全部ではない)。新鮮さを感じさせた流行のファッションを、ずっと後から見ると時代しか感じさせないのに似ている。
アンドレス・ベルトラン監督、コロンビア、86分。草原地帯、二人の密猟者が蛇狩りに来ている。一人が気味が悪いから止めようと言い出す。そのうち見つけ出したのは多くの死骸だった。
離婚寸前の夫婦が首都ボゴダ(妻の出身地)に車で向かっている。出迎えた友人は夫婦仲が悪く、離婚するとは知らなかった。後で夫が友人に伝える。明くる日、車で有名な滝を夫婦は見に出かける。途中で下りた後、車荒らしの男が車をいじっているのを見つける。夫が車荒らしを威嚇しようと出ていくと銃を出され、夫婦とも逃げ出す。
妻は逃げる途中、底なし沼にはまる。夫が助けようと飛び込むがやはり動けなくなる。直径が2mくらいの狭い沼である。助けを待つしかないのか。足の下に硬い物があって引き上げると以前死んだ死体だった。その死体の持っていた袋を探りライフルを見つけ出す。大きな蛇が近づいてきて、銃で撃ち怪我をさせる。その蛇は夫の首にかじりつき夫の首は腫れ上がる。医者である妻はナイフで毒を出す。抜け出すため縄状の物を投げても短く引っかからない。蛇を殺して縄を長くしようとする。あの蛇はどこに行ったのか。妻の後ろから襲い、体を締め上げる。嚙みつこうとしたときに夫がナイフで蛇を殺す。殺した蛇を縄の延長として使い、まず妻は脱出できた。夫は体が動かないという。妻が助けを呼びに行こうとする。それより以前、夫婦の友人は見知らぬ男が夫のバッグを持っていたので質問し、ついには泥棒と突き止める。夫婦にどこで会ったか。車で捜しに来ていた。友人にまず妻が助けられ、夫も無事に助けられた。
スティーヴン・コスタンスキ監督、加、94分。宇宙を支配する者たちは世界を破壊する邪悪な怪物を封じ込めた。しかしひょんなことからその怪物が復活してしまう。
強気で支配欲の塊である妹に兄はいいなりである。ある夜、庭を掘っていたら光る宝石状の物質を見つける。それを妹は自分の物にする。その後、寝てからその穴から破壊怪物が蘇ったのである。怪物に妹兄は倉庫で会うが、破壊的怪物といえども、宝石状の物質の持ち主には逆らえない。言うことを聞くだけである。だから妹の命令には服せざるを得ない。宇宙の支配者らはこの怪物退治に強者を派遣する。地球に来るが、妹が宝石状を返してやるので、力倍増となった怪物は派遣者を撃退する。この妹一家には怪物は手を出さないが、他のところは破壊していく。宇宙の支配者らはもう怪物と戦う術はない。拳銃を取り出し、卓の上に置き、これで決着をつけるかと言う。