かなり社会的な背景を持つ。すなわち当時のイギリスの産業革命下での鉱業町を舞台とし、人間的な感情が欠如し即物的になった登場人物が目立つ。
コークタウンという町の工場主グラッドグラインドは学校も経営しているものの、生徒たちには事実の重要性のみを強調し、情操教育的な要素は一切排除しようとしている。
サーカスの道化の娘シシーを引き取り自らの理想に沿って育てようとする。グラッドグラインドには娘ルイザと息子トムがいる。
友人の銀行家バウンダビィーの要望を受け、娘を彼の嫁にやる。ルイザは味気ない結婚生活を送っていた。やくざな弟が気がかりである。若い議員のハートハウスがバウンダビィーに近づき、バウンダビィーは彼をもてなす。ハートハウスはルイザに関心を持つようになる。
銀行のカネが盗まれる。バウンダビィーのところで働いていた職工が容疑者となった。彼はバウンダビィーに首にされ、今は行方不明となっている。
この謎を解き明かす犯罪小説的な趣向と、謎の登場人物の正体が最後に明かされるなど、いかにもディケンズらしい展開である。
ディケンズの小説の中では知名度が低いものの、十分楽しめる。
翻訳は戦前の新潮社世界文学全集中(1928)の柳田泉訳(『世の中』)がインターネット上にあり、それで読んだ。
最近の翻訳では、田中、山本、竹村共訳の『ハード・タイムズ』(2000)、田辺洋子訳の『ハード・タイムズ』(2009)がある。『辛いご時世』という訳名は、以前どこかの文献でみた名称である。これが個人的にはふさわしいと思い使った。
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