地方都市に住む侯爵デグリニョンは時代に取り残されている。王政復古にも大して恩恵にあずからず、その屋敷で貴族たちの集まるサロンは「骨董室」と冷やかされて呼ばれている。侯爵の妻は出産で亡くなり、一人息子ヴィクチュリアンは、侯爵の妹である叔母によって育てられる。叔母は美人で、町のブルジョワ、デュ・クロワジェから求婚される。断るとデュ・クロワジェは恨みを持ち、侯爵家に復讐を誓う。小説は侯爵家とブルジョワ間の争いが後半の主な主題になる。一人息子ヴィクチュリアンはわがまま放題に育てられ、見栄えも良いので放蕩を尽くす。パリに行かせ修行させようと一家は息子を送り出す。パリでは放蕩に一層磨きがかかり、美人の貴族夫人といい仲になる。好きなだけ贅沢を続け、とうとう手形を偽造してお金を作ろうとする。この偽造手形で裁判をおこし、ブルジョワ、デュ・クロワジェは、息子ひいては侯爵家を破滅させようと企む。元公証人で侯爵家に忠実な老シェネルは、奔走してこの醜聞を食い止めようとする。叔母やヴィクチュリアンの恋人の夫人も同様に手を尽くす。19世紀前半の司法は、まだ情実や駆け引きで動いていた。司法関係者に出世ができる、危なくなるといった説得で裁判を良い方向にもっていこうとする。苦労は実り、ヴィクチュリアンは無罪になる。もっともその後、あまり出世もできなかった。老侯爵やシェネルも亡くなる。裁判では苦汁をなめたブルジョワは最終的に勝利する。
貴族とブルジョワの闘争で、次第にブルジョワ側が勝利していく様を描いている。司法を駆け引きで動かす様は『浮かれ女盛衰記』にもあった。
なお本編その他が含まれる『金融小説名篇集』の最後に編者と漫画家の対談があり、編者がバルザックはこれまで日本で受け入れてこなかった作家である、バルザックは唯物論の作家で儒教風土の日本ではそぐわなった云々と書いてある。こんな意見に納得、同意する人がいるのだろうか。
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