ニューヨークの大晦日から話は始まる。公園で男の死体が見つかる。ドイツ人で彼の妻を捜しあてる。彼女は夫の自殺を驚かない。金額拐帯でドイツから米国へ逃げて来ていたのだ。愛する幼児を残して。
その頃ドイツで評価の高い指揮者による第九交響曲がラジオを通じて世界に放送される。この第九を聞いた妻は絶望から立ち直り、ドイツへ愛する幼児に会いに帰ることにする。
指揮者は夫婦仲が良くなかった。妻は夫が音楽に係りきりで自分は愛されていないと思っている。それを紛らわすため占星術師と浮気をしている。夫は妻との仲を取り戻すため養子をとることにした。友人が院長をしている孤児院で男の子を気に入り、養子にする。その子こそ米国に渡っていた夫婦がドイツに残してきた幼児であった。
米国からドイツへ戻った女は、孤児院へ我が子に会いに行く。しかし子供は既に養子に出され、幸せな生活をしていると言う。頼まれた院長は一計を考え、女を養子先には事情を隠して子供の世話係りとして住み込ませるよう計らう。
我が子に再会し世話ができて喜ぶ女。しかし真実を我が子に告げられない不幸。誠実な女に指揮者も心を寄せる。しかし指揮者の妻は夫が子供係りに気があると思い、偶然女の夫が犯罪者と知り、彼女を解雇する。
指揮者の留守中、女は自分の子を連れ出しに屋敷に忍び込む。その際に妻はかつてから縁のある占星術師に付きまとわれ心身とも衰弱していた。この偶然が事故というか不幸を引き起こす。最終的には大団円で終わるものの、真実を隠してわが子の世話係りを務めるとかメロドラマにお約束の設定、現実にはあり得ないが映画では珍しくない偶然が続くなど、いかにも映画らしい映画を見た思いがした。発声映画以来、戦前までで映画のパターンが確立し、それが映画の枠組みとして頭にあることを再確認した。
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