題名はキリスト教が元である。直接にはフランス映画「七つの大罪」からとっている。
高島忠夫扮する大学教授は望遠鏡で他家を覗き見する悪趣味は持っているものの、妻に性的に淡泊で彼女は欲求不満。精力つけさせようと夫の嫌いなにんにく料理を良く出す。出版社の若い記者が原稿取りに来てその晩飯を相伴に預かる。他日覗き趣味を同じくする友人の部屋から望遠鏡で覗くと、自分の部屋で妻があの記者と抱擁していることを発見する。
益田喜頓は妻が大阪に別居しているのを幸いに、若い浜美枝を自分の妻と称して部屋で情事にふけっている。ところが妻が上京すると電報がやってくる。慌てて浜美枝に電話する。彼女は妻との衝突は覚悟していると言い出す。実際に妻が赤ん坊を連れて部屋に来ると自分はお手伝いとしか言えない。益田が帰って来て妻に平謝り。浜美枝は出ていく。続いて妻も別れると言い出す。益田の元には赤ん坊のみ残された。
加東大介扮する中年男は愛用の碁盤が見つからない。妻は団地の交換バザーで家電製品に替えたと言う。仰天して10万以上する非常に高価な碁盤だと言う。子供は積木が無くなったと言い出す。近所の碁好きへ差しに行くとなんと出してきたのは自分のものだった碁盤。知らない相手は儲け物だったと喜んでいる。子供も自分が持っていた積木をその家の子が持っているのを見つけ喧嘩になる。
兒玉清と妻は1DKの部屋。隣室の水洗便所の音がうるさい。子供が出来れば2DKの部屋に移れる。そこでは音が大きくない。そのために子作りに励む。夫は疲れ果てダウン。
三橋達也と隣室の妻草笛光子はエレベーターに閉じ込められる。管理室からエレベーター会社に電話するものの中々修繕に来ない。三橋の妻八千草薫と草笛の夫藤木悠は密室の妄想をして嫉妬でやきもきする。ようやく修繕会社によってエレベーターの扉が開くと二人は猛ダッシュでトイレに飛び込む。
最後の挿話では団地に自動洗濯機が導入される。夫たちは洗濯物を持って洗濯コーナーに行くことが日課となる。そこに集まった上記の夫たちは文明なんて良くない。王政復古を叫ぶ。
この映画が作られた頃は団地住まいがサラリーマンの憧れだったようだ。今では大型団地は老朽化、高齢化、過疎化に悩まされているようだが。また水洗便所の音が大きかったとか、自動洗濯機がこんな時代から使われていたとは知らなかった。
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