本書は息子を年少で失ったユダヤ教のラビ(教師兼指導者)が、苦悩の中で神について考え直し、学び取った理論を書いている。かなり前から本書の存在は知っていたものの、読むには若干のためらいがあった。まず一つは邦訳名である。原題はWhen bad things happen to good people、であり、直訳では、ひどい事が善人に起きる時、か。本文p.4に「なぜ、善良な人が不幸にみまわれるのか?」とあってこちらの方が自然な日本語だろう。それが邦訳では「なぜ私だけが」とあって、これは我々の周りにいる、「他の連中は好き勝手なことばかりやって幸せでいるのに、自分だけが全世界の不幸を背負っている!」などと叫ぶ人を思い出してしまう。(分かりやすくするため大袈裟な言い方にした)こういう人はジコチューにしか見えない。それで抵抗を感じたのである。なぜ自分「だけ」が不幸、などという発想になるのか分からない。世の中を見れば、本を読めば本当に不幸な人がいる。
もう一つ抵抗を感じた理由は、なぜ神がいるのに、という問いである。神は全能である、世の中のすべて、人間の運命のすべてを支配している、何事も神のおぼしめしと子供の時から教えられ、そうだと思ってきた人がいる。だからこの著者のように子供を亡くすといった最大限の不幸を経験すると、なぜこのような目に会うのか。本当に神はいるのか。いるならなぜこんな目に会うのか。信じていたからこそ、騙された、詐欺にあったと思うわけである。本書はそういう問いに対して答えをだそうとしている本である。そういう本であるから、自分のように元々神など信じていない、だから「全能の神がいるのに」という問い自体、発しない。それで自分には縁のない本ではないかと思っていたのである。実際、本書は極めて宗教的な本である。著者は神を否定しない。神に対して疑問を発する者に対して、神を擁護している。それが本書の目的である。だから自分には関係ない議論を延々としているように思え、実際に読んでもそうだった。正直、日本人で神を信じている者がそんなにいるのかと思っていた。神を信じる、とは特定の宗教、キリスト教でも仏教でもイスラム教でもいいが、その教えを信じている、に留まらず、世の中のすべてを支配する超常的な力があり、自分の運命もそれによっていると思っている人も含めていいかもしれない。それなら結構いると思う。自分は一切そういったものを信じていない。神が存在していると思っていないから。だから読む気が起きなかった。しかし日本人でも神はいるのかと問い、神を信じている、信じようとしているのなら、本書は読む価値がある。
さて自分には縁のない本でも、読んだので本書のメッセージを書いておく。本書の真ん中あたりにある聖書の「ヨブ記」の解釈である。神は信心深いヨブの信仰を試すため、ヨブに対し残虐極まる目に会わせる。それでもヨブの信仰は揺るがないのか。聖書の神は信者の信仰心を度々試す。本ヨブ記だけでなく、聖書の初めの方にあるイサクの犠牲もそうである。全能の神がいるならなぜこんなひどい目に会うのか、に対する著者の答えは次のようである。神はいる。しかし全能ではない。不幸をもとより起こすわけでない。しかしその不幸、災難を止める力は神にはない。それでは神の存在意義は何か。それは不幸に会った人に対し、より添い不幸に耐える力を与える、忍耐力を与える。信仰があればこそ、苦難を乗り越えられると説く。