2025年11月26日水曜日

ドイル『バスカヴィル家の犬』 The Hound of the Baskervilles 1902

 ホームズの長篇小説の中でも評価の高い作品と言われる。次のような話である。

旧家に伝わる怪奇な話がある。そこに出てくる犬と関連しているのかと思わせる怪死事件が起きる。財産を相続する甥がアメリカから帰ってくる。しかしその男に危険が迫り、ホームズが乗り出す。

舞台は最初の方はロンドンだが、大部分はデヴォンシャーという田舎である。そこの怪しい雰囲気が小説を大きく支配している。


推理小説は長篇になると短篇に比べ、話そのものがより関心の対象になる。本書も謎解きの観点から言えば全く面白くない小説である。犯人は分かっているし、「夜光怪獣」の謎も子供だましもいいところである。なぜ評価する人がいるのか。異色作と言うべきで普段のホームズ物には見られない重厚さが感じられる、といったせいか。

この小説で一番面白かったところは、来訪した医師がホームズを欧州第二と言って、ホームズが憮然とする場面である。ここを読むと『瀕死の探偵』でホームズが(深謀だが)ワトソンを「君なんか経験も資格も大したことない一般開業医に過ぎないじゃないか」と言ってワトソンを侮辱するところを思い出した。


新潮文庫の延原謙訳は定評があるらしい。昭和29年初版で、持っているのは昭和62年の57刷、206頁、定価320円、この頃もうこんな薄い本で320円もしたのだと思った。

第二章のバスカヴィルの古文書の文語訳などは風格がある。

しかし第六章の次の文を読んだ時、少し気になった。

執事夫婦を追い出したらというワトスンの提案をホームズが一蹴するところである。


「万一罪があるとすれば、虎を野に放つようなもので、先生がたは舌をだして喜ぶだけだよ。」(昭和29年版、p.83)


文脈から言って不自然に思ったので原文をみてみた。


if they are guilty we should be giving up all chance of bringing it home to them.


これでは捕まえる機会を逃す、くらいの意味ではないか。他に持っている訳本を2種ばかりみたがやはりそう訳してある。

更にこの延原訳を読んでいたら、最終ページの最後から二行目で次のようにあり、驚きだった。


「僕はユグノー座の切符をもっている。」(昭和29年版、p.263)


原文は次の通り。


I have a box for ‘Les Huguenots.’


Les Huguenotsとは独生まれ、仏で活躍したオペラ作曲家マイヤーベアの代表作『ユグノー教徒』のことである。ウィキペディアのマイヤーベアの項を見たら『ユグノー教徒』の解説のところで『バスカヴィル家の犬』が言及されている。

訳者はクラシック音楽に詳しくなかったかもしれない。しかし当時は音楽ファンでも、ほとんどマイヤーベアなんて聞いたことがなかったはずだ。マイヤーベアは生前は人気があったが、死後は忘れられた。この訳が出た頃は、録音があったかも疑わしい。今では再評価され録音やDVDなど結構出ている。


ところで現在、延原訳として出ている新潮文庫は改版しただけでなく、子が訳文に修正を加えている。新版(平成23年)で見たら、上のユグノー座は『ユグノー教徒』(p.314)になっている。ただ虎を野や舌を出すのところ(p.95)はそのままである。

更に驚いたのは第二章の古文書が口語表記になっている。文語では読みにくいという配慮なのだろう。また新版では活字が大きくなっている。

延原訳の新旧を比べたら、文語文や、山中峯太郎に叶わないが自由訳、更に爆笑物のユグノー座など旧版は珍品と言うべきで、旧訳が好きである。

2025年11月25日火曜日

志村五郎『鳥のように』筑摩書房 2015

前著『記憶の切絵図』に続く本である。前著は著者の自叙伝といった感じで、特に文庫の最初の100ページほどは少年期を書いてある。戦前の東京では、生活がどんなであったかの一例として面白い。それに対して本書は著者の関心の赴くままの随筆である。学者というものは一国一城の主で、たいてい、かなりの自信家である。そうでなければ学者などやっていけないのだろう。この本でも著者の自信家ぶりは伺える。

本書の中では丸山眞男について書かれた章が特に有名であるようなので、それについて述べる。政治学者の丸山は東大を辞めた後、1975年10月にプリンストンの高等研究所に来た。プリンストン大にいた志村あてに、丸山の世話を頼む依頼が数通来たとのこと。丸山は志村より15歳ほど年上で、戦後を代表する政治学者、思想史家として有名だった。しかしながらここでは志村は丸山をかなり「やっつけて」いる。プリンストンで知り合った丸山がいかに中国の古典や成句に関しての無知であるかをさんざん書き、更に丸山は音楽好きでも知られたが、その音楽に関しても無知なので呆れているといった調子である。また丸山の自分自身の無知に対して素直でない態度も書いてある。丸山は学者というよりジャーナリストだとも評している。著者は前著でも、権威とされている数学者を遠慮なく批判している。これは同業者だからその気になる場合もあろうと思われる。しかし畑違いの丸山を、どうでもいいような事を含めて下げているのはどういう訳か。これは文中にある、丸山が著者について書いた書簡を読んだせいと分かる。その本は『丸山眞男書簡集2 1974-1979』みすず書房、2004である。その中で1975年11月6日の小尾俊人(みすず書房創業者)あての書簡で、知り合い、世話になった志村を次の様に評している。

プリンストンの数学者は日本人が多く、「・・・志村[五郎]教授はプリンストンの看板教授です。(中略)先日も志村教授のカクテル・パーティに招かれて(中略)志村教授とダべりましたが、非常に趣味と関心が広い反面、自信過剰で、政治=社会問題について平気でピントの狂ったことをいい、「第一級の専門家でも、一たび専門以外のことを発信する場合は一言も信用してはいけない」というレーニンの言葉を思い出しました。(以下略)(同書p.62~63)

ここを読んで志村は怒り心頭に発したのだろう。もっとも丸山は、後に志村あての書簡を書いている。同書簡集の1976年6月18日付けではバークレイに移った後にプリンストンで世話になったお礼とバークレイの様子を伝えている。更に帰国後、1977年7月27日付けでは、信州に来ていたらしい志村あての書簡で、音楽関係の話題、贈られた品の謝礼、招待されていたらしい信州行きについて触れている。丸山は1996年に没し、2004年に出版されたこの書簡集を読んで志村は怒り、丸山が自分の悪口を書いているから、この文を書けると本書で言っている。

そこで志村の丸山の批判は、朝鮮戦争の勃発は北朝鮮側からの攻撃なのに、それを丸山はそう認めていない、という点を中心にしている。実は左翼の風潮が強かった1970年代くらいまで、朝鮮戦争は南側からの戦争であったという説が幅を利かせていた。多数派が間違えていたからといって、丸山の免責にはならない。しかし丸山を批判するなら朝鮮戦争に関する認識だけでは弱い気がする。もっと根源的な批判は何か。自分が思うに、丸山は20世紀の終わり頃まで、平成まで生きたのだが、最後まで革命とか社会主義に対する期待(幻想)を捨てきれなかったようだ。これは認識というより信念、心情の問題なのだろうが、政治学者だから批判されてもしょうがないだろう。この文には「丸山眞男という人」という題がついているが、文は人なりというか読んで「志村五郎という人」という感想もした。

2025年11月24日月曜日

鈴木貫太郎自伝 昭和24年

終戦内閣で総理大臣を勤めた海軍軍人、鈴木貫太郎の自伝である。鈴木は慶応3年大阪で生まれた。その後関東で育った。海軍に入ろうとする鈴木に対して周囲は、海軍は薩摩でなければ出世が出来ない、と言って止めたそうである。実際に海軍兵学校に入ってみると、実際に九州人が圧倒的多かったという。海軍兵学校は江田島に移る前、築地にあった時分で、最後のそこの卒業生になったという。

軍人になってからの実際の経験は、もちろんそれなりに面白いが、何と言っても本自伝の核は終戦の年、4月に内閣総理大臣を拝命し、終戦をどのように行なったかの記録である。最後の御前会議でポツダム宣言を受け入れるべきか否か、反対と賛成が拮抗する中、昭和天皇の決断でポツダム宣言受諾が決まった。その際、大臣らの中には大声を上げて泣いた者もいたそうである。これら実際に歴史の場にいた者の、直接の記述は貴重である。

2025年11月20日木曜日

闇のバイブル/聖少女の詩 Valerie a tyden divu 1969

ヤロミール・イレシュ監督、チェコスロヴァキア、74分。祖母と住む少女は町に来た役者たちを見る。その中の不気味な男を恐れる。この男は何者か。後の方で主人公の父親かと思わせる場面がある。更に祖母が若返りする。聖職者は主人公を犯そうとし、失敗したので主人公を魔女と断定し火炙りの刑に処せられる。それでも主人公は助かった。このように幻想的に話は進んでいき、筋はよく分からない。主人公の少女を初め、幻想的な映像を見る作品である。

小さな悪の華 Mais ne nous délivrez pas du mal 1970

ジョエル・セリア監督、仏、103分。仲良しの二人の少女たちがかなり質の悪いいたずら、に留まらず、悪事までするに及ぶ。二人の少女たちは大人たちを誘惑したり、小鳥を殺したり、あげくのはては放火までする。

ある日、道で車が故障している中年の男を、自分の家に連れて来る。そこで下着姿になって、男を迷わす。男は欲情によって女子に乱暴しようとする。その時にもう一人が男の頭を打ち続け、殺してしまう。男の死体を池に沈める。後に警察が二人それぞれを呼び出し聴取する。学芸会で二人は詩を朗読する。最後に油で火をつけ舞台は炎に包まれる。

2025年11月19日水曜日

リジー・ボーデン 奥様は殺人鬼 The legend of Lizzie Boden 1975

ポール・ウェンドコス監督、米、96分。19世紀末に米東部で起きた、老夫婦殺害事件を元にしたテレビ映画。容疑者は被害者の娘、リジー・ボーデンだった。裁判が開かれ、リジーは証拠不十分で無罪になる。しかしリジーの犯行ではないかと思われ続けた。リジーは1920年代まで生きた。米国では非常に有名な事件と以前読んだ本に書いてあった。

この殺害事件の映画化では、より最近に『モンスターズ 悪魔の復讐』という凄い邦題(原題はLizzie)の、2018年製作の映画がある。『リジー・ボーデン 奥様は殺人鬼』では事件の起きた後から映画が始まり、査問会、裁判などで過去を回想する場面で事件当時の映像になる。この映画ではリジーが裸になって殺人を犯し、それで返り血を浴びなかったとなっている。この設定は、2018年の『モンスターズ 悪魔の復讐』でも踏襲されている。

なお邦題の副題「奥様は殺人鬼」は、この映画の主人公がドラマ『奥様は魔女』で有名だったから。リジーは独身である。

2025年11月18日火曜日

沙耶のいる透視図 昭和61年

和泉聖治監督、プルミエ・インターナショナル製作、102分。ビニ本のカメラマンは同僚にある女を紹介され会う。その女の倦怠で謎めいた雰囲気に惹かれ寝たくなる。しかし女は拒否する。再会してから、その女が紹介してもらった同僚とかつて何か関係があったと知る。またケロイド状の男の局所のスケッチを女は持っていた。カメラマンは同僚の身体を見た時、ケロイド状になっていると分かった。

同僚は自分の母親と、近親相姦的な関係があったと告白し、女との関係を推測するカメラマンの想像を否定する。後にカメラマンは同僚から電話があり、雨の中に横たわっている女と性行為をしろと言われる。それを映画に撮りたいのだと言う。カメラマンは女を抱きかかえ、部屋に連れていく。女とカメラマンがいる部屋の窓の外を同僚が落ちていくのを見る。