2026年4月22日水曜日

吉本隆明『13歳は二度あるか』だいわ文庫 2013

評論家の吉本隆明が13歳の少年に向けて、人生の生き方を自分の体験を通して語る。まず新聞を読めと言う。世の中が分かるから。人間のあり方は「個人としての個人」と「社会的な個人」という側面がある。後者は社会と交わる時の個人の側面である。さぼっている者がいたとしても黙って自分の仕事をすべきである。人間は強制では動かせない。自由な意思だけが人を動かす。「家族の一員としての個人」という、個人と社会をつなぐ面がある。

更に宗教、法律、国家がどういうものか述べる。次いで犯罪や死について述べる。なぜ人を殺してはいけないかという問いがあれば、自分で自分を殺してみればいいと答える。死が近くなると、死は自分のものでなく、周りの者の物になる。延命治療すべきかといった判断、死を納得するかなど、自分でなく周りの人間の物になる。また死は生の最終時点でなく、生と共にあるものであると言っている。生まれた時から生を照らし出すものが死だというのである。戦争について自分の体験から語る。最後に人間は自分の生まれた時代を引き受けて行くしかないと述べている。

人はなぜラブレターを書くのか 令和8年

石井裕也監督、東宝、122分。綾瀬はるかは食事屋をやり、夫、娘がいるが癌に侵されている。昔の時代に戻る。通学列車で好きな男に毎日会っている。その男子は進学校に通い、ボクシングも練習している。ボクシングの先輩はチャンピオンになると言っている。お互いに名前も知らず、男子は地下鉄事故で死ぬ。

綾瀬は大人になってから死んだかつての恋人あてのラブレターを書く。それを死んだ男子の両親が見て喜び、返信する。ボクシングの先輩は試合に勝ち、チャンピオンになる。綾瀬の娘は医者になると宣言する。綾瀬が死んだ後、娘が医学部受験に行くところで映画は終わり。

2026年4月20日月曜日

事件記者 真夜中の目撃者 昭和34年

山崎徳次郎監督、日活、52分、白黒映画。女の郵便局員が知り合いの男からクリスマスのケーキをもらう。同僚と帰る時、都電の停車場にそのケーキを置き忘れてしまった。そのケーキを見つけたタクシーの運転手は食って、後に運転中に死ぬ。ケーキの箱を見つけた警察はそのケーキに毒物が入っていると知った。

また郵便局に夜、二人組の強盗が入った。宿直の男を殺して逃げる。女の郵便局員は二階で強盗の名を聞く。新聞でタクシー事件を読んだ、ケーキを渡した男は驚く。その男は郵便局強盗の一人で郵便局侵入のため、局員に眠り薬入りのケーキを渡したつもりだった。それが毒薬だったのだ。郵便局侵入の男の名が新聞に出ている。知らずに毒入りケーキを渡した男は警察に行くと言いだし、仲間の男から刺される。郵便局員の女が来て介護する。強盗の男は高跳びを計るが、駅で警察から追われ、列車に轢かれる。

事件記者 狙われた十代 昭和35年

山崎徳次郎監督、日活、47分、白黒映画。深夜の神宮外苑で、若者たちがオートバイの競争をしている。賭けをしている。若い男はオートバイを借りて競争に参加した。人をはねてしまった。そのオートバイの持主で賭けの胴元をしている男は、若い男に大金を寄こせと脅す。若い男は姉の貯金通帳を盗もうとして、元軍人の父親に見つかりどやされる。その隙に、胴元の男は父親の拳銃を居間から盗む。

その拳銃で駅を襲い、来た警官を射殺してしまう。拳銃から胴元である前科のある男だと犯人は分かる。父親の軍人は警察に出かけて話す。オートバイ競争仲間にもぐりこんだ新聞記者は若い男に、はねた男は死んでいないと知らせる。記者の通報で警察がやってきて悪党どもは捕まる。

燃える平原児 Flamming star 1960

ドン・シーゲル監督、米、92分、総天然色、エルヴィス・プレスリー主演。西部に住むプレスリーの母親はインディアンである。父親が白人で、兄は前妻との子供、プレスリーは父親が再婚したインディアンが産んだ子である。インディアンが町を襲う。町人はプレスリーの家はインディアンがいるから襲われないだろうと嫌味を言う。

インディアンの若者はプレスリーのところに来て、仲間であると言う。母親はインディアンの部落に行って話をつけたいと言い、プレスリーと出かける。しかしもうインディアンの部落は母親を仲間と思っていなかった。気落ちして帰る途中、白人に銃撃され母親は負傷する。その白人をプレスリーはやっつける。帰宅して町に医者を呼びに兄弟は行く。しかし町人は医者を行かせない。後からプレスリーは強硬な手段で医者を連れてくる。しかし母親はもう死んでいた。プレスリーは医者が早く来なかったからだと医者に八つ当たりする。

インディアンの仲間になると行って出ていく。部落で歓迎される。父親はインディアンに襲われ、戦って殺された。プレスリーの兄が見つけ、死体を運ぶ。その兄もインディアンとの戦いで負傷した。プレスリーはインディアンの仲間から抜け出し、怪我をしている兄を助け出す。インディアンとも戦い、何人も倒す。プレスリーは負傷した兄を馬に乗せ、町に送り治療させる。後にプレスリーが町に来る。プレスリーは兄が大丈夫かだけ確かめに来た、と言って去る。

2026年4月15日水曜日

殺人者を消せ 昭和39年

舛田利雄監督、日活、94分、総天然色、石原裕次郎主演。裕次郎はサラリーマンであるが、毎日の決まりきった生活にうんざりしている。東南アジアで戦争をしているので、それに参加したいと思っている。東南アジア行きの船に密航で行こうとしたところを捕まって降ろされる。それを見ていた海運会社の課長は驚き、裕次郎の入っているブタ箱に面会に行く。裕次郎に次のような条件を持ち出す。

東南アジアに行かせてやる、その費用は持つ。ただし条件として、ひと月会社の社長になってくれないかと。見せられた次期社長の写真は裕次郎にそっくりである。社長、副社長とも事故死し、アメリカに行っている次期社長は帰国が遅れる。重役連は会社を乗っ取ろうと画策している。それで次期社長が帰国するまでの間、社長になりすましてくれないか、という頼みだった。裕次郎が社長として会社に乗り込む。重役連は実は前の社長と副社長を事故に見せかけ殺し、裕次郎も殺そうと企む。また次期社長には婚約者の十朱幸代がいて、十朱は次期社長の性格が以前と全く変わっているので、いぶかしがる。

重役連の企みは失敗し、逆に重役連が次々と死を遂げる。最後はヨットに乗ってここで真相が分かるのだが、課長が重役連を殺していたのだ。前の社長らと共に、課長の愛人も死んだからでる。重役連は凡て殺される。しかし課長は裕次郎のような能天気の男を憎んでおり、殺そうとしたが逆に自分が事故死する。十朱は裕次郎の正体を知ったが、かえって裕次郎のような悪人が好きだと言って迫る。裕次郎は飛行機で飛び立つ。隣の席には十朱が座っていた。二人は東南アジアの戦場でなく、スイスに行ってそこで結婚式を挙げる。

2026年4月14日火曜日

アクセモグル、ロビンソン共著『国家はなぜ衰退するのか』 Why nations fail? 2012

発展する国家といつまでも低開発のままいる国家の違いはなぜか。なぜ発展できたのか、また他の国家はなぜできないのか。この疑問に取り組んだのが本書である。従来から文化的要因、地理的要因などが挙げられてきたが、著者らはそれらを退ける。ここで著者が要因としてあげるのは、政治経済法制度が包括的か収奪的かの違いである。

収奪的制度では首長が自分の利益しか考えず、国家を成長させる技術や制度があっても採用しない。それに対して包括的制度をもつ国家とはあまり聞かない用語であるが、国家内の個人や企業に自由に利益を追求させ、それを保障するような市場、法制度の整っている国家である。それにはまず中央集権国家でなくてはならない。部族等が互いに争っているような国家では無理である。著者らは自分たちの主張を実証するため、多くの数量分析を行なったそうである。ただここでは数理的な記述は一切なく、歴史記述で説明していく。この歴史記述は本書で最も量を占める。歴史書と呼んでもいい。収奪的な制度は、まず初期に国家の発展をもたらすかもしれないが、永続しないという。そうなら中国の発展は続かないとなる。(ハヤカワノンフィクション文庫、鬼澤忍訳、2016年)