2025年10月13日月曜日

殺人者 The killers 1946

シオドマク監督、米、103分、白黒映画。エヴァ・ガードナー、バート・ランカスター出演。田舎町のガソリンスタンドで働いているランカスターはいつも行く食堂に、その日は行かなかった。殺し屋二人がそこに来てランカスターを待っていた。それを知らせにランカスターの同僚はランカスターに知らせるが、ランカスターはどうでもいいといった態度だった。後に殺し屋が来てランカスターを殺す。

ランカスターは自分が死んだ場合の保険金を昔いた下宿屋の世話係に払うよう指示していた。保険員がその下宿屋に行き、昔のランカスターについて調べる。係りはランカスターが自殺しそうだったと答える。女に逃げられたかららしい。映画は昔に戻る。ランカスターは酒場でエヴァ・ガードナーに会い、一目ぼれする。後にガードナーが盗品を身に着けていて、刑事(ランカスターの幼馴染)に逮捕されそうになると、自分が盗んだと嘘をつき、刑務所に入る。

ランカスターが刑務所から出てくると給料を強奪する計画が持ち上がっていた。その会合の場で、ランカスターは久しぶりにガードナーに会う。盗んだ金をランカスター抜きで山分けしようとしていたら、ランカスターが現れ、金を攫って行く。ランカスターはガードナーに教えられ、自分抜きで山分けが行われると知ったのである。しかしガードナーは金を持ち逃げする。下宿屋でランカスターが女に逃げられたと絶望していたのはその時である。数年経ってランカスターの居所を突き止めた泥棒が殺し屋を送って殺させたのである。

金はどこにあるのか。ガードナーが持っているはずである。実は泥棒を計画した首謀者とガードナーは夫婦で、それでランカスターが持ち逃げしたようにし、真相が分かるといけないので、他の仲間やランカスターを殺してきた。首謀者は虫の息で警察に告白するが、ガードナーを無実と言わずに死んでしまったので、ガードナーは逮捕される。

2025年10月12日日曜日

カビリア Cabiria 1914

ジョヴァンニ・パストロ-ネ監督、伊、無声映画、123分。古代ローマとカルタゴの戦争を背景とした映画。カビリアは娘の名であるが、主人公ではない。攫われたので、救助に行く者たちが主で、カビリア自身はあまり画面に出てこない。

カビリアが幼い日、火山の噴火で町は打撃を受ける。カビリアの屋敷も倒壊し、親たちはカビリアが死んだと思っていた。実は乳母と逃げられたが、海賊につかまりカルタゴに売られていく。ローマの軍人とその大男の従者がカルタゴに潜入していた。乳母はたまたま会ったその二人にカビリアの救出を頼む。二人は生贄にされそうになっていたカビリアを助けるが、相手方は追ってくる。軍人は海に飛び込んで逃げた。従者はカビリアを連れて逃げ、たまたま会った若い女にカビリアを託す。自分は捕まり、粉引きにされる。託された若い女はカルタゴの高官の娘であった。カビリアはその女の侍女として成長する。

ローマとカルタゴやシラクサとの戦いの場面がある。ハンニバルのアルプス越えや、シラクサでアルキメデスが反射鏡でローマの船を燃やすとか。あの軍人も従軍していた。長年の後再びカルタゴに来る。粉引きにされていた従者を助ける。二人はカビリアを捜すが分からない。あの高官の娘は政略結婚に利用されていた。軍人らは敵方に捕まり牢に入れられる。侍女にされていたカビリアは捕虜に水をやる際に二人に会う。高官の娘はかつての恋人が敵になっており、その恋人から送られてきたのは毒であった。もうこちらはローマ軍に征服される。娘は毒を飲んで、あれこれ指示し、死んでいく。カビリアは助けられ、軍人らと故郷に帰る。

2025年10月9日木曜日

将基面貴巳『日本国民のための愛国の教科書』百万年書房 2019

著者はニュージーランドの大学教授をしている政治思想史研究者。愛国心には2種あり、もともとはpatriotismであるが、これ以外にもnationalismがあると言う。前者は共通善をめざす考えである。後者は後に出てきたもので、特にフランス革命時に大きく成長した概念である。nationalismは国民や民族にこだわる。著者は共通善を目指すpatriotismが望ましい愛国心だと言っているようである。

この本では事実の認識と、著者のこうあるべきという主張が混在していてどうも読みにくい。もちろん著者の主張は結構だが、まず正しい認識を開設して、それから著者の主張をしてもらいたかった気がする。また文中で読者への問いかけや普通こうなっているという説明で、自分としてはそこで前提とされている日本人の普通の回答に同意できなかったので気になった。

2025年10月8日水曜日

泉鏡花『外科室』 明治28年

伯爵夫人の手術がある。その模様を参観している画家が語る。伯爵夫人は麻酔をなんとしても拒む。周囲の者が説得しても無駄である。うわ言で何か言うのを恐れているのである。手術をする医師の名を確認する。実は元から知り合い以上の仲だったのである。夫人は自分を知らないだろうと言うが、医師は知っていると答える。手術で夫人は死ぬ。

後半の部分は昔に戻る。医師がまだ若かった頃、後の伯爵夫人に小石川植物園で会った。それから詳述はないが、二人は相思となり、またこれも明示的に書いていないが、医師は手術で夫人が死んだ後、自殺した模様。本編は短編だが、泉鏡花の代表作の一とされている。

志村五郎『鳥のように』筑摩書房 2015

前著『記憶の切絵図』に続く本である。前著は著者の自叙伝といった感じで、特に最初の100ページ(文庫)ほどは少年期を書いている。戦前の東京では、生活がどんなであったか書いてあり、戦前の東京の実際の一例として面白い。それに対して本書は著者の関心の赴くままの随筆である。

著者は学者というものは大抵そうなのだろうが、お山の大将、と言って悪ければ一国一城の主で、恐ろしく自信家である。そうでなければ学者などやっていけないのだろう。

本書では丸山眞男について書かれた章が特に有名(?)であるようなので、それについて自分なりの要約をする。政治学者の丸山は東大を辞めた後、1975年にプリンストンの高等研究所に来た。プリンストンにいた志村あてに丸山の世話を頼む依頼が数通来たとのこと。丸山は志村より15歳ほど年上で、戦後を代表する政治学者として既に有名だった。しかしながら志村と丸山は全く合わなかったようだ。丸山がいかに無知であるか、丸山の自分自身の無知に対して素直でない態度を盛んに揶揄している。中国の古典や成句に関しての無知を、これは丸山は江戸の思想を研究対象の一つとしていたから、それを知らないとはと呆れている。丸山の音楽好きは有名だが、その音楽についてもろくに知らないので、嘲るといった口吻である。志村は前著でも、権威とされている数学者を遠慮なく批判している。これは同業者だからその気になるとは推測できる。しかし政治学者と数学者などは関係ないから、攻撃する必要もない気がした。これは途中に書いてある事情で分かった。丸山が書簡で志村を話題にし、自信過剰で、知らないことを大言壮語していると書いてあるから。これを読んだ志村は怒り心頭に発し、本書でいかに丸山が無知のつまらない人間か、やっつけているのである。

2025年10月6日月曜日

吸血怪獣のヒルゴンの襲来 Attack of the giant leeches 1959

バーナード・L・コワルスキー監督、米、62分、白黒映画。フロリダの田舎町の沼に棲む、放射能によって巨大化した蛭が人間を襲うという映画。舟に乗っている男がヒルゴンらしきものを見て驚き、みんなに話すが信用されない。後に沼に舟で出た男たちが餌食になる。行方不明になって捜索するが見つからない。後になって見つかった死体は血が吸い取られていたと分かる。

酒場の親爺には若い妻がいて、店で働いている男といい仲になっている。沼のそばで逢引していると夫の親爺が見つけて、銃で脅す。男は命乞いをする。沼から現れたヒルゴンに男も女も捕えられる。親爺は警察に言っても信用されず、牢屋で首吊りする。実はヒルゴンに捕えられた連中はすぐに殺されずに沼の中のヒルゴンの棲み処に横たわっていた。ヒルゴンが必要に応じて血を吸うのである。沼の中を捜索する。水中撮影がある。ダイナマイトで沼の底を爆破する。捕えられていた女の死体が浮かび上がるだけでんく、ヒルゴンの死体も浮いてくる。

2025年10月5日日曜日

プルート・ナッシュ The adventure of Pluto Nash 2002

ロン・アンダーウッド監督、米、95分。エディ・マーフィ主演。21世紀後半、月には人類が居住するようになっていた。その中のリトル・アメリカという都市で、マーフィは流行らない店を買い取る。ギャングに借金返済が出来ない主人から、借金を肩代わりし返済し、その店を改造し所有主となった。

数年後、大いに繁盛している。若い歌手志望の女がやってくる。勤める予定だった店がなくなっていた、使ってもらえないかと。マーフィは女給として雇う。この店を買い取りたいと言って来る者が来た。断ると店に爆弾を仕掛け、爆破してしまう。その犯人をマーフィ、女、マーフィが使っている用心棒のロボットで追いかける。派手な立ち回りがある。

相手側はマーフィを消そうと殺し屋を雇う。殺し屋一党はマーフィたちを狙うが、マーフィらはマーフィのファンに助けられる。マーフィは殺し屋の背後にいるボスを突き止めようとする。そこに行く。するとマーフィと瓜二つの者がいた。マーフィのクローンで、今は月世界のボスとなっている。マーフィは自分のクローンと戦う。同じ見た目なので、見ている子分など区別がつかなくなる。最後はマーフィはクローンを倒し、店は再び繁盛する。