2025年12月10日水曜日

ヴィオレッタ My little princess 2011

エヴァ・イオネスコ監督、仏、106分。主人公の女子は母親がカメラマンで、娘を被写体にして写真を撮り、それで有名になる。娘にとらせる姿勢がどんどん過激になり、娘は嫌がるようになる。普段は母親は家におらず、娘は祖母と暮らしている。娘の写真は有名になり、学校でもヌードモデルをしているなどと、嫌がらせを受けるようになる。

娘が写真に撮られるのを拒否するようになると、母親は別のモデルで写真を撮り始めたのかと思い、それでもすねる。娘は学校に行かなくなる。祖母が死んで、母親は裁判所から娘の扱いについて訴えられる。施設に入れと言われる。娘は非行するようになり、少年院に入れられる。母親が会いに来たが娘は逃げる。

2025年12月9日火曜日

亀山郁夫『ドストエフスキー共苦する力』 2009

本書でドストエフスキーの後期4長編、『罪と罰』『白痴』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』を論じる。読んでいて思うのは、小説の意味するところを著者は果てしなく、自由に推察していくので驚くほどだ。正直、想像が過ぎるのではないかと思うほどである。しかし著者の考えるところ、ドストエフスキーの読みはこうでなくてはならないのである。あとがきに次の様にある。

「わたしの考えでは、ドストエフスキーこそは、まさに「二枚舌」の天才だった。(改行)わたしのドストエフスキー理解は一貫している。それは、書かれたテクストを絶対化しない、テクストには二重構造があるという信念である。信仰の裏に不信があり、不信の闇に神は存在する。作家というのは、そうした二重性の表現においてこそ、どこまでも真剣であり、誠実なのだ。」(本書p.261)

これを読んで、著者がやり過ぎと思われるほど、想像の翼を広げている理由が分かった。テクストなんかに拘泥していてはドストエフスキーは分からないのだ、これが著者の信念である。(東京外国語大学出版会)

悪い種子 The bad seed 1956

マーヴィン・ルロイ監督、米、130分、白黒映画。8歳の少女ローダは両親や、大家の小母に可愛がられている。ローダが学校のピクニックに行くと、同級生の男の子が湖に落ちて死ぬ事故が起きた。最初は自分の娘かと心配した母親は娘が帰宅後、全く気にかけない様子なのでいぶかる。事情が分かると、死んだ子がもらったメダルが自分の物になるべきだと娘は強く主張していた、更に最後に男の子に会ったのは娘だと知る。娘は男の子を湖に落とし、メダルを取っていたのだった。かつての隣人の死亡事故にも娘は関与していたのかと心配になる。

また犯罪者は遺伝によりそうなるのかと、作家に尋ねる。やって来た父親に自分は本当の娘か、もらい子ではないかと問い詰める。それによって自分の本当の母親は連続殺人犯だと知る。父親は幼い娘を引き取り自分の子として育てたのだ。家に来ている掃除等を請け負う男は、娘に執拗に犯罪をしたのだろうと聞き出そうとする。娘が反抗して相手の誤りを正し、本当の事を言ってしまう。その男は後に火事で死ぬ。これも娘のしたことだった。母親はノイローゼになり、娘と心中を図る。しかし娘は生き延び、自分も銃で死のうとしたが一命を取り留める。娘は嵐の夜、湖に行く。母親がメダルは湖に捨てたと言ったから、取りに行こうとしたのだ。桟橋で湖をさらっていると雷が落ち、娘に直撃する。

2025年12月8日月曜日

アリバイ 昭和38年

牛原陽一監督、日活、92分、白黒映画。二谷英明と宮口精二の二人の刑事が主な登場人物である。東京の新興住宅地で拳銃による殺人事件があった。映画はパトカーがサイレンを鳴らし、駆けつける場面から始まる。使われた拳銃は立川の米軍からの物らしい。何丁かの拳銃の行方を調べる。拳銃の取引をしている男を調べる。しかしその男にはアリバイがあった。これでは逮捕できない。また被害者が勤めていた会社は中国人の経営する会社との取引で不審なところがあった。しかしこの線で調べても尻尾を出さない。

宮口の妻が死に、その葬式で二谷は思いつく。アリバイがあるといっても本当に本人か。もう一度調べ、実際は似た別人であったと分かる。捕まっている男の妹を誘拐し、自白しないように中国人の一味は企んだ。それで外国に高飛びするつもりでいた。誘拐された妹が匿われている世田谷の家に刑事らは入り込み、誘拐被害者を助け出し、悪漢どもと銃撃戦をやって捕まえる。高飛びしようとしていた首領たちも寸前で羽田空港で捕まった。

今村均回顧録 日本人の自伝第12巻、平凡社 1981

陸軍大将今村等の回顧録の抄録である。今村は仙台の出身で、軍人になってからの回想を書いている。今の日本は軍人が社会の中枢の一部ではない。自衛隊はあるが、かつての軍人と今の自衛官では、かなり心情は異なるのではないか。自衛官の方は知らないが、この今村均という軍人の回顧録を読むと、今ではなくなった軍人の心構えや軍隊での実際が分かる。

およそ自叙伝は高齢になって昔を思い出して書くのだから、事実そのままでなく、その本人のかつての人生の意味づけが書いてあると言える。本書を読むと著者は軍人として快男児であった。また上司への理解や軍人としての心構えも感心する。もちろん、先に書いたように自分の意味づけであるから、正確さを云々してもしょうがない。それ以上に昔の軍隊の実際の一例が分かるのでこれは貴重な資料である。

2025年12月7日日曜日

無常 昭和45年

実相寺昭雄監督、ATG、143分、白黒映画。関西の旧家、長男は実家の業を継ぐ気がなく、姉に養子でも迎えればいいと言っている。その姉は家で働いている男や、長男の同級生である僧侶から慕われている。両親など家の者がいなくなった日、長男は姉と関係を持つ。姉は妊娠する。まさか相手が弟とは知らず、家で働いている男と結婚させる。友人の僧侶は姉弟の関係を知っていた。それでなじるが長男は気にしない。ある日、結婚した男は自分の妻と弟が寝ているところを発見し、絶望のあまり鉄道自殺する。

長男は仏像作りに関心があり、師匠に習っている。その師匠は妻と、もう夫婦間の関係がなく、長男はその妻とも関係する。友人の僧侶から長男はなじられ、議論して天国や地獄の発想を笑い飛ばす。師匠は死んだ。その息子が長男のところに来て、親の死はお前のせいだと非難する。長男を刺そうとして誤って自分を刺す。長男は夢の中か、祖母が地面から大きな鯉を掘り出しているので手伝う。その鯉の腹から多くの者の霊(?)のような塊が出てくる。映画の最後は幼児を連れて寺の外の階段を上る姉の姿である。

2025年12月6日土曜日

Monster モンスター Lizzie Borden took an ax 2014

ニック・ゴメス監督、米、87分、リジー・ボーデン事件のテレビ映画。1982年の夏、米東部で老夫婦が殺害され、その娘であるリジー・ボーデンに容疑がかかった事件。

真昼に起きた事件で、リジー・ボーデン役のクリスティーナ・ リッチが殺害された父親を発見して驚愕し、叫ぶところから始まる。斧で潰された顔が映し出される。事件当時、家にはリッチと女中しかいなかった。それでリッチに容疑がかかり、査問会が開かれ、リッチは被告となって裁判が開始される。結果は証拠不十分で無罪だった。しかし町の人たちから白眼視され、村八分になるまで描かれている。

この事件は、やはり同様のテレビ映画で「リジー・ボーデン 奥様は殺人鬼」(1975)の他、2018年には『モンスターズ 悪魔の復讐』という映画も作られている。邦題はみなモンスターと名付けているが、原題はリジーの名を冠した普通の題である。