2026年3月30日月曜日

ストリンドベリ『幽霊ソナタ』 Spoeksnaten 1907

室内劇と呼ばれる、ストリンドベリが自分の劇場で上演するために書かれた比較的短い劇。ある家の近くに車椅子に座った老人がいる。学生に声をかける。老人は学生をその家の魅力的な若い女と娶せるつもりである。昔、老人と学生の親が敵同士であった。

老人は家に入りそこの主人に命令する。最初は怒っていた主人であるが、老人が昔の事情を知っていると分かり納得する。この家の戸棚の中にミイラとなった老婆がいる。その老婆は老人のかつての恋人だった。老婆によって今度は老人の過去の実際が暴かれる。別の部屋、時間が経っているであろう、学生と若い女が対面している。学生は女に向かい恋情を打ち明ける。二人の会話は彷徨うように続き、劇は終わる。

2026年3月29日日曜日

ストリンドベリ『死の舞踏』 Doedsdansen 1900

2部から成る劇。島にある円形の要塞塔。その住人である大尉とその妻は、長年この島に住んでおり、ストリンドベリの他の劇のように夫婦間の不和がある。そこに久方ぶりに知り合いのクルトがこの島に勤務することになり訪れる。夫婦はそろって歓迎する。大尉は島の者たちともうまくやっていけず、非常に狷介な策士である。夫とこの島にうんざりしている妻はクルトに夫についてあれこれ言う。

後にこの島にクルトの息子が赴任する。大尉は自分の思うようにクルトの息子を配属させようとし、僻地に勤務させる手配をする。大尉に娘がいる。クルトの息子もまた他の士官も娘に惚れている。大尉は島の部隊長と結婚させようとしていた。クルトの僻地への出発の日になる。大尉の娘は結婚が予定されていた部隊長に暴言を吐き、破談にさせる。大尉は死んでしまう。残った者たちはお祝いをする。

2026年3月28日土曜日

ストリンドベリ『罪また罪』 Brott och brott 1899

4幕の劇、パリが舞台。劇作家モーリスは愛人ジャンヌとの間に、幼い娘マリオンがいる。モーリスは今夜上演される自分の芝居の成功を気にかけている。モーリスの親友、画家のアドルフの愛人アンリエットにモーリスは食堂で出会う。二人は惹かれ合う仲になる。モーリスの劇は大成功となり、モーリスも名士入りとなる。

モーリスとアンリエットが二人で出会う。駆け落ちの話をする。娘のマリオンが気になり、いなくなればと口にする。後に食堂でアドルフ、ジャンヌ、アンリエットがいるところへモーリスも来る。モーリスは娘のマリオンが死んだと聞き驚愕する。

しかもその殺人容疑がモーリスにかかっているという。二人が口にしたマリオンがいなくなればという句を聞いた者がいた。モーリスは逮捕され、劇の成功も取り消される。名声から一挙に殺人犯となった。しかし後になって娘の死は病気によるもので殺人でないとモーリスの嫌疑は晴れた。

2026年3月27日金曜日

ストリンドベリ『ダマスカスへ』 Till Damascus 1898

全体で3部ある劇の第1部。「見知らぬ人」が主人公である。彼は街である婦人と知り合いになり、その世話になり、家に行く。夫は医者であった。「見知らぬ人」は奇人であり人とうまくやっていけない。彼は後に放浪で乞食に会ったり、婦人をその夫から奪うように自分の伴侶として、婦人の実家である家に行ったりする。

ストリンドベリ自身が「見知らぬ人」のモデルであり、自分の最初の妻シリとの出会いや結婚を下敷きにして書かれている劇である。後に第2部、第3部が書かれたが、第1部が有名でこれのみの上演が多いそうである。

2026年3月26日木曜日

鑑賞用男性 昭和35年

野村芳太郎監督、松竹、89分、総天然色、有馬稲子主演。デザイナーの中林洋子の随筆にヒントを得て作られた。有馬扮するファッション・デザイナーはパリから帰国する。男にも女の鑑賞に耐える服を着るべきと言い、鑑賞用と称する男服を作る。それを有馬の縁続きが社長をしている広告会社では制服にして社員に着せようとする。ステテコ風のおかしな服である。

社員の杉浦直樹は断固反対し、背広で通す。有馬と杉浦は内心は惹かれ合っていたが、服装観の相違で対立する。会社の方針に反対した杉浦は北海道支社に飛ばされる。転勤が決まり準備をしている杉浦に、有馬も自分の本当の気持ちが分かり杉浦と結婚することになった。

2026年3月25日水曜日

情欲の悪魔 Love me, or leave me 1955

チャールズ・ヴィダー監督、米、122分、総天然色。ドリス・デイ、ジェイムズ・キャグニー出演。1920~1930年代に活躍した実在の女歌手、ルース・エッティングをデイが演じる。歌は多いが、ミュージカルでなく、歌手が必要に応じて舞台や練習などの場面で披露する。踊り子だったデイを実力者のキャグニーが見出し、売り出そうとする。歌を練習するためについたピアノ弾きの若い男とデイは相思の仲になる。しかしキャグニーの強引なやり方についていくので疎遠になる。

キャグニーはどんな時でも、自分の思い通りにならないと駄々っ子のように、公衆面前でわめく漫画のような人物である。そのマネージャーであるキャグニーとデイは結婚した。実際の人物でもそうなっている。デイは成功していく。あの若い男とまた会う機会ができた。二人の仲に嫉妬したキャグニーは拳銃で男を撃つ。男は怪我をし、キャグニーは捕えられるが、自分を売り出してもらった恩があるデイはキャグニーが支配人で開いた店に、スターとして出演し花をそえる。

2026年3月24日火曜日

背徳のメス 昭和36年

野村芳太郎監督、日活、88分、白黒映画。黒岩重吾原作の映画化。大阪阿倍野にあるガタのきた病院が舞台で、患者も高級とは言い難い連中である。産婦人科の科長である山村聰をオールドミスの婦長、久我美子は慕っている。若い医師の田村高広は腕は良く治療には熱心だが、昔妻に裏切られ女不信に陥り、看護婦などを片っ端からものにしている。薬剤部の高千穂ひづるも手にかけた。

やくざの情婦が担ぎ込まれ、田村の忠告を無視して執刀した山村だが、女は死んでしまう。そのやくざが乗り込んで来て、2百万円支払えと恐喝する。山村は警察に言うぞとはねつけようとする。田村が自分の言うことを聞いていれば女は死なずに済んだと、仲の悪い山村に言う。もしやくざが騒いで裁判沙汰になった時、証言してくれるかと山村が言っても田村は良い返事をしない。病院でパーティがあり、酔いつぶれて部屋で寝ていた田村はガスの栓が開き、発見が遅ければ死ぬところだった。誰が犯人か、田村は推理する。

かなり危ない患者が来て、山村は身体が悪いと言って田村に任せる。患者は後に死ぬ。今度は山村が田村に治療ミスを非難できるようになった。病院が改築することになり、その祝いの席で、久我が山村に酒を勧め、自分も飲む。二人とも倒れ死んでしまう。久我の遺書を田村は読む。そこには久我の山村への思慕が綴られている。山村は久我の気持ちを全く察せず、魅力のない女と非難しているばかりである。山村の嫌う田村を殺して山村の気を引こうとした。毒入りの酒を山村に飲ませて殺し、直後に自分も飲んで自殺したのだった。

事件記者『影なき男』 昭和34年

山崎徳次郎監督、日活、52分、白黒映画。男の死体を車で運び海の近く(月島)に捨てるところから始まる。記者の一人の結婚式、そこに事件の知らせが入るので、記者連中は席を外して現場に向かう。死体に贋ドルがあって、最近起きた贋ドル事件との関係が疑われた。新婚旅行に行った記者は車中で四本指の男に遭遇する。以前の贋ドル事件で四本指の男が使ったとの情報があって、記者は怪しむ。戸倉温泉に着き友人の旅館に泊まるが、四本指の男を追おうとする。

東京では贋ドル一味の一人が支払いに贋ドルを使い、それを知った相手の悪党に殺される事件が起きた。この現場から贋ドルが見つかり、その被害者関係で捜査が始まる。旧華族の夫人などもからんだ贋ドル一味だったが、外国に高飛びしようとしていたところに警察隊が来て捕まる。新婚旅行中の四本指の男は事故死したが無関係の者と分かった。

2026年3月22日日曜日

倉田百三『出家とその弟子』 大正5年以降

戯曲で、大正時代に岩波書店から発行された際にはベストセラーになったとか。親鸞とその弟子唯円が主な登場人物で、唯円の方が劇では重要人物である。親鸞の思想だけでなく、キリスト教などを元にして書かれており、親鸞や浄土真宗の教えの解説などではなく、史実とも離れ、作者が自由に自分の思想を述べた劇である。

第一幕では雪の夜、親鸞と弟子らが宿を求めてある家を訪れるが、気分が悪かった主人は追い返してしまう。親鸞は石を枕に雪の中で寝る。後で主人は後悔し、家に招き入れる。この家の幼い子供が後の唯円という設定である。次の幕では京都が舞台で、成人した唯円が親鸞の弟子となっている。親鸞の子供善鸞が勘当されているので、唯円は善鸞に会い、相談にのる。後に唯円は芸者の一人と恋仲になり、悩み、僧としての勤めもおろそかになっているので他の弟子らから非難されている。唯円は親鸞に相談する。最後の幕は親鸞の臨終時である。唯円は結婚して子供もいる。善鸞も駆けつけ、謝る。親鸞は許されていると言って死去する。

2026年3月21日土曜日

火刑台上のジャンヌ Jeanne au Bucher 1954

アルチュール・オネゲル作曲、ポール・クローデル台本、フランス語によるオラトリオ(宗教的な内容の声楽(合唱を含む)曲、オーケストラ伴奏つき、オペラのような演技はない)『火刑台上のジャンヌ・ダルク』を映像化したものである。『火刑台上のジャンヌ・ダルク』は小澤征爾指揮のCDを持っており、他にも幾つもの録音が出ている。ただ映像化されているとは知らなかった。しかもイングリッド・バーグマン出演でロッセリーニ監督である。

ただ正直なところ、70年以上前の映画でカラーとはいえ画質は悪いし、元々この音楽に親しんでいない人が映画的興味だけで鑑賞すると、大して感心しないのではないか。もっともこの映画、指揮者もオーケストラも声楽関係もクレジットにない。

『火刑台上のジャンヌ・ダルク』の原題は、Jeanne d'Arc au bûcherで、bûcherは薪小屋、火刑台という意味があるので『火刑台上のジャンヌ・ダルク』は直訳である。もっともこの映画の題名については仏伊合作で、イタリア語では、Giovanna d'Arco al rogoとそのまま訳されているが、フランス語ではJeanne au bûcherと、ダルク d'Arcがない。

ストリンドベリ『父』 Fadren 1887

3幕の戯曲。家庭内が舞台で夫婦間の不和が描かれる。大尉と呼ばれる夫は、妻との間に一人娘がいる。夫婦間は険悪な仲である。言い争いの中で娘の父親が自分かどうか分からないと言い、それが題名になっている。

他の登場人物、乳母や妻の兄である牧師からも正気でないと思われている。最後は拘束衣を着せられ、発作を起こし倒れる。確かに夫である大尉は被害妄想に見えるが、作者ストリンドベリ自身の気持ちの現れなのであろう。

2026年3月19日木曜日

左ききの狙撃者 東京湾 昭和37年

野村芳太郎監督、松竹、82分、白黒映画、字幕では主演ではないが、実際には西村晃、玉川伊佐夫が話の中心。東京高島屋の近くの裏通りで、車に乗った潜入捜査をしていた麻薬取締官が射殺された。ビルの屋上から撃ったにしても左利きでないと周囲から見られるはずである。

麻薬取引を調べていき、佐藤慶演じる売人を逮捕するが、黙秘続けるので一度釈放する。この捜査の担当刑事が西村と若手であった。若手と西村の妹は恋愛関係にある。西村は追っていくうち、戦友に遭遇する。戦場では左利きの射撃手で、西村は救われた事がある。佐藤は殺され、追及していくとやはり戦友に疑いがかかる。戦友は頭の弱い女と結婚する予定だった。逮捕すべきかの判断で、西村は上司にもう一日待ってほしいと言い、西に列車で逃げる戦友を追う。列車内で西村は相手が犯人の証拠を掴んだので、手錠をかける。二人は格闘になる。戦友が列車の外に落ちる。手錠がかかっている西村は懸命に引き上げようとする。しかし列車が鉄橋にさしかかり、二人とも落ち、二人の死体が橋にぶら下がった状態で終わる。

2026年3月13日金曜日

事件記者『見えない狙撃者』 昭和34年

山崎徳次郎監督、日活、51分、白黒映画。アベックの強盗がアパートの一室に侵入し、物を捜している。たまたま引き出しの中に拳銃があって男はそれを盗む。この空き巣狙いで女の方だけが捕まった。警視庁の記者クラブに男から電話がかかってくる。女を釈放しろ、さもないと警官を銃撃するという脅しであった。捜査一課に伝えると、そこにも電話があったらしい。いたずらだろうと思っていたら、派出所が銃撃され警官が負傷した。

その薬莢の指紋からアベック強盗の片割れの男を特定した。その後、外人が銃殺される事件が起きた。同じ銃弾である。そこからアベック強盗の片割れがこの殺しもしたかとなる。新聞で読んだアベックの片割れは驚き、記者クラブに電話をかけてくる。自分は殺しなどしていない、盗んだ拳銃で脅しただけだと。受けた記者は電話をかけてきた男と会おうと言いだす。相手は銃を持っているという危惧があったが、警察も護衛に行くという。約束の場で相手に会ったが、その時悪漢どもが数人やってきて、銃を構えている。これは拳銃を盗まれた方が、盗んだ男を消そうとしたのだった。その時、警察が現れ悪人どもを逮捕する。片割れは事情がよく分からなかったが、記者があいつらが殺人の犯人だと教える。

2026年3月12日木曜日

篠原孝『花の都パリ「外交赤書」』講談社+α文庫 2007

昭和23年生まれの農林水産省の役人がパリのOECD本部に勤めた時の体験記。役人が国際機関でどう働いているのか、その一例である。国連は政治の調整が主な仕事であるから、外務省の職員だけでも足りるところが大きいが、OECDは経済の各分野の先進国間の調整が仕事であるから、当該分野の専門家でなければ対応できない。だから各省庁から職員が出向して仕事にあたる。

OECD勤務はエリートコースであり、省庁でとりわけ優秀と見なされた者が選ばれる。まず国際機関で働くための第一条件は語学、普通は英語に堪能でなければならない。各国と話し合ってするのが仕事だからだ。しかし本書にもあるように日本人で英語が出来ない者は多い。だからOECDに出張で来る者も英語が分からず苦労する場合が結構ある。また大使館などはまさにそうであるが、日本の在外公館の大きな業務は日本から来た政治家などの偉いさん、役所から出張者、また私用で来る者の接待である。これは実際の大使館などでは仕事の大半を占める業務で、それにまつわる話もある。

2026年3月11日水曜日

ジロドゥ『トロイ戦争は起こらない』 La guerre de Troie n'aura pas lieu 1935

戯曲である。ホメーロス『イリアス』を下敷きにしている。トロイのパリスがギリシャからヘレンを攫ってきて、ギリシャ軍が取り返しに来る。その直前が舞台である。ヘクトールはパリスにヘレンをギリシャに返せと言う。そうすればギリシャとの戦争は避けられる。しかしパリスは渋る。

後にオデュッセウスが交渉にやってきて、ヘクトールと話し合いをする。話し合いの結果、ヘレンを返すことでオデュッセウスは納得し、帰っていく。ホメーロスの原作に出てくる人物以外の登場人物もあり、ヘクトールが戦争回避をしようとする役目である。

2026年3月10日火曜日

青木恵子『基本は誰も教えてくれない日本人のための世界のビジネスルール』ディスカヴァー・トウェンティワン 2015

著者は世界でレストランを経営するCEOである。世界、特にアメリカで仕事をするための心得集である。ここで述べられている項目の多くは、たいていの者が聞いているか知っているだろう。知らない項目が多い人は、よほどの若年者で本を読まない人である。

もちろん新たな情報も得られた。例えば「商売相手として、世界中の人たちから信頼されているのは、アメリカ人、イギリス人、ドイツ人、日本人です。」(本書p.124)といったところなどである。またちょっといただけないのは日本人について一般論をしているところで、「日本では、「週末は父親が仕事か接待ゴルフ、母親は子どもと一緒にお出かけ」というパターンが多いようですが」(本書p.207)とある。そういう話をよく聞くが、そんな日本人はごくごく少数である。話を盛っているのではないかと思わせる。

吉本隆明『今に生きる親鸞』講談社α+新書 2001

思想家の吉本隆明が親鸞の思想について語る口調でやさしく解説した本。目次は次のようになっている。「序章」親鸞との出会い「第1章」親鸞の生涯「第2章」親鸞の思想「第3章」親鸞の言葉「第4章」今に生きる親鸞、となっている。啓蒙書であり、親鸞入門として優れていると思われる。

2026年3月9日月曜日

ミルドレッド・ピアース Mildred Pierce 1945

マイケル・カーティス監督、米、111分、ジョーン・クロフォード主演。クロフォード演じる主人公ミルドレッド・ピアースがいかに生き、どういう報いを得たかの映画。映画は初めは男が銃で撃たれて倒れるところから始まる。クロフォードは友人の不動産屋を自分の家に連れてくる。不動産屋はいつの間にかクロフォードがいなくなって、外に出られず、男の死体があると気づく。なんとか外に出、パトカーが来たので家に死体があると告げる。警察の場面になり、最初の夫は自分が犯人だと言う。クロフォードはこれまでの人生を語る。過去の回想が映画の主要部分である。

最初の夫は失業したので、二人いる娘を不自由なく育てるため、クロフォードは女給になる。そのうち経営に乗り出す。以前からクロフォードに好意を持つ不動産屋が手伝う。店を出す手頃な物件があった。その持主はプレイボーイだった。店の事業は成功し発展する。クロフォードはプレイボーイと恋仲になる。しかし遊んでいるうち次女が病気になり死ぬ。初めの夫とは離婚する。長女は贅沢させるが、長女は母親とその事業を嫌っており、仲を深めた相手から妊娠したと偽り大金をせしめるようになっていた。母親と衝突し家を飛び出す。後に娘を連れ戻すため、あのプレイボーイと結婚し、上流のような生活を始める。娘をプレイボーイだった夫が連れ戻してくる。

ところが娘は母親の夫であるプレイボーイと結婚するつもりでいた。これをプレイボーイと母親の前で言う。しかしプレイボーイはそんな気はないと言いだす。娘は拳銃を取り出しプレイボーイを撃って殺す。これが映画の最初の場面になる。クロフォードは娘を助けるため自分がしたと言うのだが、警察は逃げようとしてた娘を連行してくる。娘は服役し、クロフォードは最初の夫と警察を出る。

2026年3月7日土曜日

要心無用 Safety last! 1923

F・C・ニューメイヤー、S・テイラー監督、米、73分、無声映画、ハロルド・ロイド主演。ロイドは恋人と別れ、田舎から都会に出て百貨店に勤める。恋人には偉くなったような手紙を書くが、実際は平の売り場担当である。その恋人が都会にやって来てロイドの百貨店に来る。いかに自分が偉いか見せるため、あの手この手の工夫をする。ロイドは馘を言い渡される。

社長と部下が話し、百貨店を有名にする宣伝を出来た者には大金を支払うという話を耳に挟み、さっそくそれを実行すると申し出る。百貨店の壁を屋上まで登るというのである。予め予告していたため、多くの人々が見に集まる。ロイドは高い所に登るのが得意な友人に、2階以上は代わってもらうという約束をした。ところがその友人が警官に追われ、なかなかロイドと交替できない。とうとうロイドは屋上までのビルの壁を登らざるを得なくなる。途中で時計にぶら下がる場面は有名である。屋上にたどり着き、恋人と法要接吻する。

2026年3月6日金曜日

詩人の血 Le sang d’un le poete 1932

ジャン・コクトー監督、仏、50分。前衛映画の代表作。フランス革命当時の貴族のような鬘をしている男がカンバスに顔の線画を描いている。その絵の口が動く、その部分を消す。すると今度は画家の手の平に口が現れる。女の古い胸像があってその口に手を当てると、像は生き始め、男に壁にかかっている大きな鏡に飛び込めと言う。水が張ってある鏡の枠の中に飛び込む。ホテルの廊下で鍵穴から部屋の中を除く。メキシコ人が銃で倒れ、フィルムを逆回しで元の位置に戻る。少女が部屋の上の方、天井に這っていく。銃で自分の頭を撃つ男が出てくる。最後の方では胸像から生れ出た女とテーブルに座る若い男が銃でこめかみを撃ち死ぬ。

アンダルシアの犬 Un chien Andalou 1928

ルイス・ブニュエル監督、脚本にダリ参加、フランス、21(15)分、無声映画。冒頭の女の目を剃刀で切る場面から、非現実的映像が続く、非現実主義映画の代表作。

手の平に出入りする蟻、女と男の絡み、自転車に乗る道化風の衣装を来た男の転倒、人間の片腕を杖でつつく、若い女が車道で轢かれる、男同士の部屋での争い、一人が引きずる多くの物、その中には驢馬の死体が乗ったピアノなど。海辺の男女、砂の中に埋まる等々、現実離れした画面の連続の映画である。なおインターネットには上映時間21分とあるがIVCのDVDでは15分のみだった。

2026年3月5日木曜日

事件記者『仮面の脅迫』 昭和34年

山崎徳次郎監督、日活、57分、白黒映画。警視庁の記者クラブに強盗という知らせがあって駆けつけると、家庭内の狂言強盗だった。腐って帰る途中、痴漢が調べられている事件に出くわす。映画館で女の手を握ったというのは病院勤めの薬剤師だった。この事件を派手に書いて記事にする。ところがその後これが人違いの冤罪だったと分かる。

病院の事務長は記者クラブに怒鳴り込んでくる。謝罪記事を三段抜きで書けというのである。冤罪の薬剤師は顔向けできず家族も非難されているとか。新聞社は考慮すると返事する。この事務長は冤罪の被害者になった薬剤師に会って、自分に任せとけと言う。薬剤師自身は気弱で強く主張する気もない。記者が薬剤師に会って謝罪しようとするのだが、行方不明になっている。薬剤師の恋人である看護婦に会う。彼女も薬剤師を捜している。

その薬剤師の死体が見つかる。直前に記者クラブに自殺するという電話をかけてきた。しかし調べると自殺でなく、他殺と分かる。あの事務長は看護婦に横恋慕しており、薬剤師を消すため、痴漢被害に会ったと騒ぐ女を使い、薬剤師を陥れていた。更に看護婦も自分になびかないので、殺すつもりでホテルに呼び出す。共謀した女も毒殺しようとしていて、それに気づいた女は拳銃を取り出し、事務長に何発もぶっ放したのは、警察がやってきた時だった。

2026年3月4日水曜日

アイヴィー Ivy 1947

サム・ウッド監督、米、98分、白黒映画、ジョーン・フォンティーン主演。フォンティーン扮するアイヴィーは既婚であるが浪費家で、他に好きになっている男がいる。二人いて一人は船乗りで、もう一人は医者である。医者はアイヴィーが好きでたまらず家にまで電話をかけてくる。密かに医者宅で二人は会う。

夫がいなくなればという話になり、アイヴィーは医者宅にある毒物を持ち出す。それを夫の飲料に入れる。調子が悪くなったが大事に至らなかった。後に気分が悪くなり医者(愛人でない別の)を呼ぶ。医者は夫は大丈夫だと保証する。後にアイヴィー宅に愛人の医者がやってくる。夫とも知り合いである。話した後、医者は帰る。その後、夫は亡くなる。警察は事件の疑いありと検死する。毒死と分かり、直前に会った愛人の医者に疑いがかかる。裁判になる。アイヴィーが証言し、医者に不利な発言をする。医者はそれを聞いて、自分は有罪だと宣する。

医者の私刑は明日に迫る。警察は元よりアイヴィーが怪しいと見ていて証拠品を捜していた。見つかって医者の死刑は延期になる。アイヴィーは証拠品を取りに自宅に戻るが、ない。エレベーター用の吹き抜けから誤って墜落する。

2026年3月2日月曜日

丸山眞男書簡集2 1974-1979 みすず書房 2004

丸山眞男に対する批判として時々数学者志村五郎の名が挙がる。その志村の批判の元になったのではないかと思われる、丸山の小尾俊人(みすず書房創業者)あての書簡が入っている。そこで丸山はプリンストン滞在中に世話になった志村に触れ、

「・・・非常に趣味と関心が広い反面、自信過剰で、政治=社会問題について平気でピントの狂ったことをいい、「第一級の専門家でも、一たび専門以外のことを発信する場合は一言も信用してはいけない」というレーニンの言葉を思い出しました。」(本書p.63)

と書いているのである。丸山の死後、2004年にこの書簡集が出て、それを読んだ志村は怒り、その著『鳥のように』(筑摩書房、2010)所収の「丸山眞男という人」という文で、仕返しをしている。(『鳥のように』のレビューで少し詳しく書いた)

さてこの書簡集全体を読んで気づいたところは、まず丸山が贈呈された本について御礼の手紙をいちいち書いている点である。もちろん書かなかった場合もあるだろうが、それは分からない。実は思い起こすと著書を贈呈された経験は自分にもあるが、御礼の手紙など書こうという気なぞ起きなかった。この丸山の律儀な態度(というより自分が非常識か)に感心したのである。またかねてより友人関係にある婦人方との書簡である。こういう交友もあった、と分かっても何も丸山理解に資するものでないが、自分としては面白く感じた。